パカル王の墓室開封66周年とヌースフィア(KIN128)

今日、G6/15(水晶の月17日)は、パレンケの「碑銘の神殿」でパカル王の墓室が発見された1952年6月15日(KIN218)から66年目の記念日。『ドリームスペル』の調波インデックスでは、調波とその逆の合計は常に66になる上、明日から4日間はツォルキンの中で唯一「逆」が存在しない中心調波33に入るという流れが美しい。

1999.4.12(KIN149)に現地で自分が撮影した墓室

パカル王との繋がりから生まれた箱型キット『ドリームスペル』を、一般的な暦の形態に表現したのが『13の月の暦』で、マヤ暦とは異なるものであることは既に複数の記事で述べて来た通り。当然、墓室の発見日がKIN218というのも『ドリームスペル』ツォルキンでの話で、マヤ暦ツォルキンで調べれば、1952.6.15は「13キブ」(ドリームスペル的に表記すればKIN156に相当)となる。

こういう基礎的な(自分でちょっと調べたら分かる)事も知らずに、「マヤ暦」と伝え回っている人の情報は、万事そのくらいの質なので、信頼度は低い。つまり『13の月の暦』と「マヤ暦」をごちゃまぜにしている人は、それだけで自らの信用度を落としてしまっているのである。

左端にパカル王の誕生日であるアハウ(太陽)の絵文字が見える

さて、4日前にKIN218とシンクロするちょっと面白い出来事があったので、以下にメモしておこう。この日、私は【13の月の暦タイムスコア展】が行われている(G7/1まで)二子玉川TIME&SPACEで、『I.H.M. WORLD』の取材を受けていた。

特集のテーマにちなんで、精神圏とか叡智圏と邦訳される「ヌースフィア(NOOSPHERE)」の事から話を始めようと思い、この言葉を生んだソ連(ロシア)の地球化学者ヴェルナツキーについて調べ直していた。すると、1863年2月28日生まれのKIN126で、2日後がちょうど218回目の銀河の誕生日に当たる事が判明!

その更に2日後(つまり今日)が、パカル王の墓室発見日(66年前当時はKIN218)と知っていた私は、このタイミングでヴェルナツキーの218回目の誕生キンが巡って来たことに、興奮を覚えずにはいられなかった。何故なら、この両者を結んだのは『13の月の暦』提唱者の一人、ホゼ・アグエイアス氏に他らないからだ。

ちなみに、ヌースフィアという言葉は、ヴエルナツキーの他にもう一人、フランスの古生物学者で司祭だったテイヤール・ド・シャルダン(KIN258)も唱えており、20年以上前にアグエイアス夫妻が来日した折に配布された資料「生物圏から精神圏への移行」には、シャルダンとヴェルナツキーの両者がきちんと紹介されている。

邦訳書も出ていて比較的名も知られているシャルダンについてはさておき、日本では殆どその名も知られていなかったヴェルナツキーの仕事にいち早く着目していたアグエイアス夫妻の慧眼ぶりがよく分かる。せっかくなので、その資料の中の重要なポイントを抜粋しておこう。

”生物圏の視点から見ると、人間が継続的に12:60の周波数に居続けることは、自然に対する物質主義の戦争を続けることにほかならない。その戦争は、人間そのものが究極的な犠牲者となる戦いである。この戦争を終わらせる唯一の方法は、「文化のよる平和、生物圏主体の平和」を行い、人類が、13の月・28日の暦にコード化されている正しい13:20の計時周波数へと回帰することである。”

つまり、『13の月の暦』の使用を通じて「文化による平和、生物圏主体の平和」を実現することが、自然との平和共存関係を生むということである。そして、ここでいう「暦の使用」とは、カレンダーとして日付を数え続ける事であり、占いや鑑定とは全く関係の無い話なのだ。アグエイアス夫妻来日時の講演資料を見てもそれは明らかである。

尚、ヴェルナツキーの誕生キンであるKIN126(9・世界の橋渡し)は、中央アート出版から出た三冊の拙著全ての編集を担当して下さっていた天野照久さんの誕生キンでもあり、私が『マヤのリズム』を出した時の「運命の道筋」でもある。

そして、今日のKIN128(11・星)はアントニオ・ガウディの233回目の誕生日で、その反対のパートナー(130キン離れた関係)に当たる日付はKIN258(11・鏡)で、テイヤール・ド・シャルダンの誕生キンである。パカルの墓が開封された66周年にヌースフィアについて記すことになったのは、このような関係があったからかもしれない。

追記:正確な誕生日は分かっていないはずだが、世間では、G6/15を空海の誕生日として祝っている人が多いことを最近知った。