ルネサンスの都へ(6)

★こちらの記事は、クリカのメルマガ”Happy シンクロ Days♪”Vol.68(青いスペクトルの嵐の年 宇宙の月9日 4・夜/2017.7.5)からの転載です。
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◆シンクロニック・ジャーニー 【 ルネサンスの都へ(6)】byD
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【 ルネサンスの都へ(6)】

2016.9.2(KIN257)、目覚めと共に天井の高い部屋に居ることに気付き、ここがフィレンツェである事を思い出す。日課の体操を済ませ、歩いて数分の場所にあるKONNUBIOという雰囲気の良いカフェで朝食を頂く。宿が提携している(朝は)ビュッフェスタイルのカフェなのだが、目移りしてしまうほど種類が豊富で、味も素晴しいので、気の向くままチョイスしていると、知らぬ間に結構な量をいただく事になってしまう。少しお腹を落ち着けながら、この日のプランを練り、まずはジョットの鐘楼に登る事に決定。

414段の階段は、ドゥオモの463段には及ばないものの、中々にハードで、前日登ったクーポラを間近に見ながら休み休み登る。時折、足下に吹き抜けの鉄格子があって下が覗けるようになっているのだが、恐ろしくてとても真上に立つ気分にはなれなかった。それにしても、最上部の回廊から見渡せるフィレンツェの街並は、晴天に映えて何とも清々しい気分にさせられる。650年以上前にこの塔を建てた人々は、信仰と経済の力でそれを成し遂げたのだろうが、案外、高い所から眺める風景の魅力が、本当の動機だったのかもしれない。

鐘楼から西へ数百m 移動し、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の前に着く頃には、日射しが強くなって思わず日陰に隠れたくなる程だった。しかし、正面に回ってみても入口が見当たらない。他の観光客もウロついている辺りで案内を見ると、まだ開門の時間ではない事が分かった。土日以外は9時に開いているはずだが…とガイドブックを確認すると、金曜はイレギュラーで11時からと判明。欧米人並にゆったりしたスケジュールで巡る人はさておき、日本人らしい効率的観光をするつもりなら、フィレンツェカードをゲットするだけでなく、希望見学先の開館・閉館時間を押さえて、その組み合わせを工夫する必要がある。組み合わせ方次第で、時間的にかなり大きな違いが出てくるからだ。

幸い、すぐ近くにあるサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局は開いていたので、先にそちらを訪問。流石に世界的に有名な歴史ある薬局だけあって、一歩踏み込んだだけで美術館のような美しい装飾空間が広がっているし、ほのかによい香りも漂っている。お土産用なのか、ブランドものを買い漁るのと似た心理なのかは分からないが、ゴッソリ積み上げた商品の会計をしているのは、何と日本人のおばちゃま達だった。そういう自分達も買い物はしたのだが、お買い物が主目的の人から見れば、ほんのお試し程度の可愛い量。教会が開くまで、少し涼ませてもらおうと、奥の部屋までゆっくり見学させてもらった。

教会正面右手にある入り口から入って堂内を見渡すと、ジョット作の「十字架像」が天井から釣り下げられているのが目に留まった。その近くの柱は、ステンドグラスからの光で虹色に染められている。ひと巡りする間に、マザッチオ、ギルランダイオ、ブルネレスキなど、名だたる芸術家たちの作品を目にしているはずなのだが、その後も同じモチーフの作品を連発で見過ぎたからか、最初のジョットによる十字架像以外は、殆ど記憶に残っていない。

一度、ホテルに戻った後(中心部の宿はお手洗いや足休めにも便利だ)、共和国広場に面したデパートの中にあるカフェで軽くランチを取り、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ドゥオモ、ドゥオモ付属美術館と、今度は西から東に向かって直線的に移動。前者二つはどちらも八角形が基本構造になっていて、床の装飾も幾何学的。一つ一つ探求したら面白い発見がありそうだが、今回はとにかく情報をダウンロードするのが主目的なので、そのまま付属美術館へ移動。ガイドブックでの評価はあまり高くないものの、ギベルティの「天国の門」、ミケランジェロの「ピエタ」(ヴァチカンにあるものとは別バージョン)以外にも、かなり見どころがあるように思えた。

その後、さらに東に進み、サンタンプロージョ市場の中にあるトラットリア・ロッコを目指す。夏は、ここの「パンツァネッラ」がマストだという事で行ってみたのだが、3時までの営業時間にギリギリ間に合って、しっかりとありつく事が出来た。既にランチは軽く頂いていたので、1人分を2人用の皿に分けてもらって、ちょうど良い量だった。そこから南に300mほど下り、西に少し戻ると、サンタクローチェ教会がある。

この教会にも無数の見所があるのだが、特に目を引かれたのは、歴史的文化人の墓や記念碑だ。ガリレオ、ミケランジェロ、マキャベッリ、ロッシーニ、ギベルティ、ダンテなど、教科書に出てくるような人物の名がずらりと並ぶ。その中の一つ、マルスッピーニの墓を制作したのが、下記「ライブラリー」コーナーで紹介しているデジデリオという彫刻家なのだが、現地を訪れている時には、沢山あるお墓の一つ、という感覚で写真に収めた程度で、殊更に印象深いものがあった訳ではなかった。

その後、パッツィ家礼拝堂などを巡って中庭に出たが、お墓(死後世界への通路)に同調し過ぎたのか、エジプトの「王家の谷」で体験したような「グッタリして乾く状態」になり、フラフラしながら教会を後にした。まさか、その日からぴったり270日後に、再び同じ場所に足を運ぶ事になるとも知らずに。

ひと息いれるカフェを探して中央市場の方に向かい、少し迷いながらやっと見つけたのが「コッコレ」というカフェ。カプチーノもスイーツも美味しかったが、何よりお店のお兄さんがいい感じの人で、値段もリーズナブルだったので、とても癒された気分になった。やはりどんな分野でも最後は「人」である。気を取り直して、閉館前のアカデミア美術館に滑り込み、かのダビデ像を思い切り堪能。どの角度から見ても決まっていて、見飽きる事がない。彫りかけのピエタも含め、とても石とは思えないような質感だった。

ミケランジェロの作品は、ある意味、大理石という単一素材でしかないのに、そのインパクトは強烈で、帰りに立ち寄ったメディチ・リカルディ宮殿の豪華な装飾が、なんだか寂しく見えるような気がしてならなかった。宮殿の斜め向かい50mくらいの位置にある宿に戻って少し休み、涼しくなってからアルノ川の対岸にある「デル・カルミネ」というトラットリアに食事に向かった。この店も、二子玉川エテルニータの五十嵐さん情報だ。

既に店は沢山の客で盛り上がっていて、予約無しで入れるか分からない状況だったが、運良く店内の席に案内してもらえた。二日続けてのビステッカも、初日のお店とはテイストが違ってまた美味しかったが、一番印象に残ったのはポルチーニ茸のソテー。キノコ類をあまり好まない私が、心から美味しいと思ってペロリと平らげてしまった。美味しいお店の情報を予め得ていたのがポイントだとは思うが、旬の素材を活かすトスカーナ料理が性に合う、というのもあるように思う。

振り返ってみると、この1日で、フィレンツェを代表する3つの大教会、サンタ・マリア・ノヴェッラ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ(ドゥオモ)、サンタ・クローチェを西から東に向けて一度に巡り、その後、北のアカデミア美術館でダビデ像に観入し、南の「デル・カルミネ」で舌鼓を打っているのだから、まさに十字を切るようにフィレンツェの街を巡った事になる。

剣武天真流の稽古を初めたKIN257からぴったり10銀河スピン、つまり2600日が経過した記念日に、こうして「美の聖地」を巡礼できた事に、私は感動しつつ感謝した。およそ260日後に再びこの地を訪れることになるきっかけも、剣武天真流の合宿だったのだから、このイタリアの旅と剣武は、切っても切れない関係にあるのだ。(づづく)

自己存在の月24日 3・戦士(KIN16)昭和天皇のお誕生キン

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