平成最後の日への時空ゲート「宝泉院」

平成最後の天皇誕生日だった満月の12/23(KIN59)。寂光院で味わった衝撃も冷めやらぬ中、三千院の前を通り、後鳥羽天皇(82代)と順徳天皇(84代)の陵が並ぶ大原陵をお参りして、その先にある宝泉院へ。

寂光院での「125-81=44」が頭に残っていたせいもあって、今度は「82+84=166」から皇太子さまの誕生キンであるKIN166(10・世界の橋渡し)を思い浮かべる。

だが、宝泉院の中に入ってすぐの場所で目に止まったのは、お若い頃(皇太子時代)に大原を訪問された時の天皇皇后両陛下の写真だった。天皇としての最後の誕生日にこの写真を目にするインパクトは大きい。

樹齢約700年という立派な五葉松や竹林が繁る庭には、「立ち去りがたい」という意味を持つ「盤桓園」という名が付けられているらしいが、確かに見ていて飽きる事がない。JR東海の「そうだ 京都、行こう。」にも使われたと言う味わい深いその風景を、色々と角度を変えながら堪能させていただいた。

お茶を出して下さったり解説をして下さる方が代わる代わる現れては、この寺にまつわる様々な事を教えて下さったが、最後に登場した住職らしき方が、声明の音律調整のために使われたというサヌカイトの石盤(和音階)を使って、新幹線の「タン・タン・タン・タタン♪」という駅到着前の車内放送音を再現して下さったのが特に印象に残った。

そこからちょうど10日後に当たる年明け2日(KIN69)に、「額縁庭園」の別名を持つ「盤桓園」の写真をインスタにUPした時、改めて宝泉院の住所を調べてみると「勝林院町187番地」と判明。187という数字自体に何か特別な意味がある訳ではないのだが、このタイミングと文脈では、非常に特別な意味を持つ。

なぜなら『13の月の暦(ドリームスペル)』のツォルキンで計算すると、平成最後の日となる2019年4月30日は、KIN187(5・手)となるからだ。平成最後の天皇誕生日に訪れた場所の住所が、平成最後の日と完璧に同期していたのだから、シンクロが日常化している私でもやはり驚く。

しかも、この事実に気付いたKIN69は、パレンケ「碑銘の神殿」中央階段の69段に直結する日付。『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』には、この階段に関するスケッチを再発見した日として2012.3.16(KIN187)が記してある。ちなみに、この日は「碑銘の神殿」に記録されている特別な日付、マヤ長期暦9.13.0.0.0から正確に1320年後に当たっていた。

更に、2012.3.16(KIN187)から1スピン(260日)後の2012.12.1(KIN187)に、「青い虫」が『13の月の暦・手帳』に飛来した事は、『霊性のアート』のP108に書いてある通り。加えて、この本の究極の核心はP187に配置された図にあるが、当然、著者が意図してそこに配置出来た訳ではない。全ては天(時間の法則)の采配だ。

「青い虫」が飛来したKIN187(2012.12.1)は、マヤ長期暦の大周期完了ポイントとされた「2012年冬至」から正確に20日前のタイミングだったので、KIN59から始まった「青い共振の嵐の年」に含まれていた。宝泉院を訪れた天皇誕生日がKIN59であった事を思うと、あの虫は、平成という時代の完了ポイントを7年前に知らせていたのかもしれない。

平成最後の日であるKIN187(2019.4.30)は、「青い虫」飛来の2012.12.1から9銀河スピン後、パレンケ階段メモを発見した2012.3.16からだと10銀河スピン(2600キン)後となる!(注:閏日調整をするドリームスペル・ツォルキンの数え方で)

最後に、インスタに宝泉院をUPしたG1/2(律動の月21日)のサイ時間はKIN121で、次の皇太子さまの誕生日(G2/23)に巡ってくるキン、つまり皇太子さまが新天皇に即位される時の「運命の道筋」にシンクロしていた事も、書き添えておこう。「華厳経」が説くごとく、全ては繋がり合い、重なり合っていて円融無礙である。(D)

律動の月25日 8・空歩く者(KIN73)

人気ブログランキングへ
気に入っていただけたら↑をポチッとクリックしてください♪