Kulika Logo

時間芸術学校クリカ「シー」

青い水晶の嵐の年(2004.7.26 - 2005.7.25) 


倍音の月5日(G11/19)11・鷲  KIN115「 The Living Theater」(by L)

インドから戻って早3週間。(「シンクロニック・ジャーニー in India」はDにお任せするとして、氣がつけば何と40日ぶりの日記!) 昨日はダラムサラでご一緒したみんなとタイ料理の店で同窓会。出張中のDは 参加できなかったので、唯一の男性久保さんが帰られた後は女の子ばかり。まるでパジャマパーティーの様に夜中まで賑やかだった。(中には明方までの人達も いた様だ。すごい〜。)旅行中のそれぞれの写真を持ち寄って話していると、同じ場所で同じ時間を過ごしたはずなのに「えっ、そんな事あったの?」なんて どんどん新しい視点が加わって行く。私にとって苦手第一位は何といっても団体行動であるが、今回の様な旅の仲間が得られるならツアーに参加してみるのも楽しい。それ に、みんな偉いんだ。Nちゃんはダライラマ法王事務所のあの素晴らしいHPをボランティアで作成し(帰国直後も緊急行動のHP作成で大忙だったはず)、 Sちゃんは、ずっと重たい機材を抱えてビデオを撮り続け、帰国後はそれを皆に氣前良く配った。そしてそれを「いつかチベット本土の子供達にも見せてあげたい」のだ そうだ。マッチ箱サイズのデジカメに「楽ちんだわー」などと言ってる喜んでる私とはえらい違い。もう尊敬だ。

夕べみんなと話しながら、私は「タマラ」という大昔の芝居を思い出していた。ニュー ヨークのオフ・ブロードウェイ。芝居の見せ方が変わっていて、1人で1回だけ観た としたらタマラの全体像は絶対にわからない。パークアヴェニューにあるでかいお屋敷がまるごと舞台となっていて、そこにはステージも観客席も無い。4階建 の屋敷の中央には吹き抜 けの大きな階段室ホールがあり、全部で何部屋あるのか想像もつかない広さ。階段室ホールに30人程の俳優と観客が一緒に集められて芝居がスタートす るのであるが、問題はここからだ。普通の芝居なら観客は席に座って見てれば良いけど、タマラはそうはいかない。芝居の始まりから終わりまで、俳優達を追いかけて 広い屋敷中を走り回らな ければいけなのだ!しかもややこしいのは、俳優達が話の展開と共に屋敷中の部屋に散らばり、場所を変え、入れ替わり、合流し、ここでこう言ったかと思うと、また 別の事を言う・・・、全体は一つのストーリーであっても 、それぞれの話があちらこちらで同時進行してゆく。つまり俳優の数だけ別のお話があるのだ!一遍にそれを観るなんて物理的に不可能だ!何たって皆が動き回っている!

この芝居には鑑賞ルールが幾つかある。1,軽装・スニーカーで来る事。2,最後まで誰か1人の俳優を追いかける事(友達同士で来たら別々の人を選ぶ 事。3,勇敢であれ!決して恐れるな!そして4番目のルールは「自分の見た事を他の人とシェアする事」で、芝居のインターバルには、でかいダイニングルームにブッフェ 式の素敵な夕食が用意されていた。そこで互いの情報をつなぎ合わせて、それぞれが自分の「タマラ」像を組み立てて行く仕組み。一人で来たとしても、ここで誰か に話しかけたら良いのだ。

もはや話の筋書きはうろ覚えになりつつあるけれど、芝居の作り方は今も心に焼き付いている。タマラの副題「The Living Theater」が示す通り、それはまるで人生そのものだ。私たちはここで、一人一人が人生という舞台で日々自分の役を演じることができるだけだ。私はあ の夜、その楽しみ方のルールを一つ経験したと思う。私をこの芝居に連れて行ってくれた友人は昨年この世の舞台から去ったけれど、今私はインドの旅を終え、 また一つ新たな芝居を共にプレイする仲間達が得られた事をとても嬉しく思っている。


倍音の月15日(G11/29)8・蛇  KIN125「 Golden Autumn」( by L)

先週オーストラリアから帰省中の友人と会ったのを皮切りに、ずーっと出づっ張りの私たち。どこに行っても紅葉が見事で、美しいお天気が続いている。まさにゴールデン・オータムって感じだ〜。


数日前、国立博物館で開催中の「中国書道精華展」を観た。ぶっちぎりの存在感を放って いるのは傅山の作品。しかし、どれをとっても目の前にある事が信じられない程の至宝が勢ぞろいする中、傅山のどちらかといえば華やかとは言えないその作品 の、一体何がそう感じさせるのだろう・・・? 結局のところ。それはバランスなのだと思った。それも、今回は表装だ。絶妙と表現する以外に無い。いずれは 表装も勉強したいなと強く思った。芸術の道というのは、仕事(どんなにクリエイティブな分野と言われようが)のスキルとは全く逆なのだ。やればやる程、人 任せにはできない領域が広がってゆく。

一昨日は、パレンケの碑銘の神殿内部にあるパカル王の石棺の蓋が開かれてピッタリ52 年にあたっていた。日本青年館で前から楽しみにしていた「What the bleep do we know?」を観た。内容自体はパレンケとは関係無いけれど、石棺のオープンを記念するのに相応しい興味深い映画だった。会場で知っている人達に、これで もかという程バタバタ会った。「パカル王」にお顔がソックリなTさんにも会った(というか、氣がついたら私たちの横にいきなり立っていた)。実はこのパカ ル王から数日前に別件で連絡を頂いた時、「残念。その日は都合が悪いのよー。」と(出先だった事もあり詳しい説明ヌキで)お返事していたのだが、パカル王、私たちと都合が合 わない代わりにこの映画に来ることにしたんだね。考えてみたら5年程前、Dはこのパカル王と一緒にパレンケを訪れているのだった。時が巡り、今日みたいな 特別な日にやっぱり会ってしまう事になるのだから面白い。この朝、あまりにもお天氣が良かったのと、箱一杯の薩摩芋を頂いていたのとで、突然生涯初の干し芋を作っ てみることにする。特別な日のエネルギーをお芋に込めちゃえ〜という訳だが・・・実際のところ「私がパレンケを記念する行為が干し芋作りってどうよ・・・?」と思わ なくもなかったが、KOZOさんから「できあがったら是非分けて 」とリクエストされちょっと氣を良くした。もちろん倉元家に分けてあげるとも。日光浴だ けでなく、更に夜、満月浴もさせた。

そして昨日は、科学技術ホールにて「天真オープンセミナー」。夕方セミナーを終え、日 本青年館に掛けつけ少しだけこよみ屋さんのお手伝いとDのサイン会。帰りは家まで送って頂き、そのまま3人でニコタマ名物「鮎ラーメン」。初であったが、 これがビックリするほど美味しくて、店員の男の子達も全員ピカピカで気持ちが明るく、予想以上に良い店だった。嬉しい!というわけで、ニコタマでラーメン 食べるなら「鮎ラーメン」。オープンは夜8時。人気なので少し並ぶかも。

そして今日から。ジャーン、最近かなりの寝坊助だったんだけど、気合い入れ直して我が家は突然 早起きモードとなった。何と!前夜の就寝時間に関係無く、とにかく毎朝日の出の前に起きることに決まったのだ。そして今朝は河原で日の出の瞑想。何もかも神々しく 輝く瞬間、つかのまの時間の芸術だ。光のシャワーを存分に浴び、その魔法が解けないまま一日が過ぎる。春の清々しさも良いけれど、秋の芳醇さが好きー。と思う私であった。


倍音の月18日(G12/2)11・星  KIN128「ほびっと村」(by  D)

 今日は、チベットサポートグループ・KIKU代表の久保さんと一緒に、西荻窪にある「ほびっと村」を 訪ねた。カウンターカルチャー、オーガニックライフ、スピリチュアル情報の発信地として、古くから知られている老舗で、かつて「13の月の暦」の勉強会が 行われていた事や、新体道のクラスが今も行われている関係から(ちなみにここで教えている木村悟郎さんは、ダラムサラに行った事があり、先のインド旅行の 直前にも良い滝があると入滝を勧めて下さっていた)、私もよく耳にしてはいたものの、実際に足を運ぶのは今回が初めてであった。今回私達3人が訪れた目的 はKIKUで扱っているチベットサポートグッズを、この村の中にある「ナワプラサード」という本屋さんの一角に置いてもらうためであった。というのも、 これまでは主に、ダライラマ法王の来日講演会場やガイアシンフォニーの上映会場などのイベント会場でしか一般の人の目に触れる機会がなく(一応クリカHP にはUPされているが)、直接手に取って見ることができる場所がなかったからである。しかし、縁の取り持つ力か「ほびっと村」の関係者の方と久保さんが知 り合いになり、今回こういう運びとなった訳である。

 お店に入ってすぐ、リニューアルした拙著が目に飛び込んできた。聞けば、最近取り扱い始めて下さったらしく、入荷した翌日、狙ったかのように 拙著を求めに来て下さった方がいた等、ありがたいシンクロ話まで教えて頂いた。本題のグッズの取り扱いはスムースに話がまとまり、早速置いていただける事 に決定!携帯ストラップ以外のグッズ(ルームアクセサリー等)も直接手に取れるので、興味のある方は是非ここに足を運んでみて欲しい。基本的に本屋さんで あるが、一般書店ではなかなか手に入らないレアでディープな本(私にとっては宝の山に見える)の他、ドリームキャッチャーやアクセサリーなどの小物も置い てあるので、見ているだけでも飽きない場所だと思う。

 帰り際、以前から気になっていた『知恵の遥かな頂』(ラマ・ケツン・サンポ著、中沢新一編訳/角川書店)という本を見つけたので、手にとって 最初の方のページをパッと開いたら、そこには2人の人物の写真が並んでいた。右にドゥンジョン・リンポチェ、左にディルゴ・ケンツェ・リンポチェ。私は驚 愕しつつも、この本をその場で手に入れて読み始める事を決めた。どちらも既に故人だし直接お会いした事もないのだが、私にとっては、今のタイミングでこの 2人が(しかも並んで)目の前に現われた事は、生きている人物に会う以上にインパクトのある出来事だったのだ。ドゥンジョン・リンポチェは、先のヒマラヤ の旅に深く関係し(まだ日記がそこまで書けていないが・・・)、ディルゴ・ケンツェ・リンポチェは2年前のカーラチャクラ(グラーツ)で驚くべき出会い (この時はポストカードの形で)をしているからだ。おそらく、この日記を読んで下さっている方の殆どは、このディルゴ・ケンツェ・リンポチェの事はご存知 のはずだ。なぜなら、ダイアリーのトップページでニカッと笑っている写真のおじさんこそ、このリンポチェだからである。結局、「お楽しみに!」とか書きな がら1年以上放置したままになってしまっているので、「そろそろ書いてよ」と言われたような氣がしてならない。とはいっても、今はヒマラヤの事を先にまと めようと思っているので、今回は、お名前を知って頂くことと「カーラチャクラ・グラーツ2002」のダイジェストリポート(以前、チベット文化研究会報に掲載されたもの)をライブラリーにUPする事で許してもらおうと思う。・・・って事でどうでしょう?リンポチェ。


倍音の月26日(G12/10)6・戦士  KIN136「ディルゴ・ケンツェ・リンポチェ」(by D)

 18日(KIN128)の日記で、やっと少しだけ触れることが出来たこの偉大 なラマ(導師)。どうやら、あれだけでは説明が足らなかったらしい。翌々日、ダラムサラ・ツアーにご一緒したNちゃんからのメールが起爆剤となって、さら に記憶の回路(スユア)が活性化!どうやら一気に書かねばならない時がやって来たようだ。Nちゃんのメールには、デリーのチベットハウスでディルゴ・ケンツェ・リンポチェ (以下DKR)の本を入手していたこと、そして19日(KIN129 )、神田のチケットショップでチベット関係の活動でよくお目にかかるTさんと偶然バッタリ出会った事が書かれていた。実は、2年前、「カーラチャクラ・グ ラーツ2002」の報告をチベット文化研究会報に載せて欲しいと依頼してきたのは、このTさんなのだ。私のメモによると、Tさんとは「カーラチャクラ・グ ラーツ」帰国後間もない時(KIN149→6・月の年の6・月の日にパレンケの「碑銘の神殿」でテレクトノンをプレイした経験のある私にとっては、テルマ とテルトンの関係を強く意識する日だった)に、東京で行われた「蓮華生大師十三法・総集伝法灌頂」の会場でもお会いしており(この時既にパドマサンバヴァ と13の繋がりが生じていた)、帰り道、誕生年が私と同じで、誕生日がLと同じという事も分かって、ご縁があるのを感じていた。この時、灌頂を授けて下 さったギェーパ・ドルジェ・リンポチェは、18日に書いたDKRやドゥンジョン・リンポチェとも関係の深い方だったので、その流れが今、熟成してきたよう にも感じられる。

 ところで、DKRとご縁が生まれたグラーツのカーラチャクラでは、2日間の灌頂 儀式の前に、様々な準備の法話が行われていた(ダライラマ法王は儀式そのものよりも、心構えや灌頂を受ける意味を掴むこの準備の方が重要であると再三に 渡って述べられている)。その一環として、毎晩チベット仏教各派のトップ(クラス)によるティーチングも行われていた。KIN129(3スピン前)の夜に は、シェチェン・ラプジャム・リンポチェによるニンマ派のティーチングがあったのだが、あいにくLは体調不良でこの日はホテルで休んでおり、英語の理解に 乏しい私には1/3わかったかどうかという状況だった。ただ、配布されたテキストに「自分は、おじいさんの師匠の転生者である(→孫にして師匠)」という 興味深い記述があり、ティーチングの中でもその事に触れていたのは確かだった。この季節、グラーツでは焼き栗のスタンドがあちこちに立っていて、街中に 香ばしい香りが漂っていたのに影響を受けたのか、シェチェン・リンポチェの輪郭が遠目に栗のように見えてしまい、その事を後でLに話したら「じゃ、クリ坊だ ね」という事になって、以降、尊い転生活仏に対して失礼とは思いながら、私達の間ではすっかり「クリ坊」となってしまった。

 6日後のKIN135の日、宿泊していたホテルのロビーでコーヒーを飲んでいたら、その「クリ坊」が突如現われて、そこに数名のチベタンが駆け寄り、感 激の面持ちで加持を受けて(頭に手を載せてもらって)いた。恥知らずな私たちは、ミーハー根性で自分達もえらい坊さんに加持してもらおうと、「クリ坊」呼 ばわりしていたそのリンポチェに近寄って、チベタンの真似をして頭を下げてみたが、私達の頭には手を載せてくれず、「Are you Japanese?」と英語で質問しながら握手をして下さった。とっさに何を話して良いかわからず、「Yes」とだけ答えてボーっとしているうちに、その 夜はそのままどこかに行かれてしまった。翌日(KIN136)、満月に合わせて無事完了した灌頂にホッとしながら街を歩いていると、通りの向こうからまた 「クリ坊」がやってきた。軽く会釈をしたら気付いて笑顔で返してくれたが、この時もそのまますれ違っただけ。ささいなシンクロだが、2日続けて会った事が 妙に気になった私は、もしもう一度会うことがあったらせめて写真を一緒に撮らせてもらおう、と心に誓った。

 翌KIN137、一切の儀式が完了し(ホールの外では虹が出ていたとか)、明日ウィーンに移動する私達は、会場に隣接されたカーラチャクラショップでお買物にいそしんでいた。その時、 様々なポストカードの中に、ひと際インパクトのある一枚を発見する。それがDKRとの最初の出会いであった。「こんなお茶目な表情をする坊さんは、一体誰 なんだ?」と思ってカードに記してあった名前をチェックしたものの、その方がどういう人なのか全く知らなかった私達は、既にたくさん買い物をしていた事も あって、結局その場ではカードを購入せずに会場を後にしてしまった。この日は、ダライラマ法王と初めて握手をした記念すべき日でもあったが、願いが通じたのか「ク リ坊」ともホテルのロビーで3度目の邂逅を果たす事ができた。ただ、西洋人が熱心に質問している最中で、なかなか終わりそうもなかったので、ちょっと割り込んで写真だけ撮 らせてもらう事にした。この時、再び「Japanese?」と聞かれたので、気になって後で部屋に戻ってからネットでこのリンポチェについて調べていた ら、何と中沢新一氏のゾクチェン研究所のフォトライブラリがヒットした(つまり中沢氏ゆかりの人という事になる、これで日本人か?と繰り返し問われた謎が解けた 気がした)。そして何と、ある写真の中に若きクリ坊と、あのポストカードのおじさんが一緒に写っているのを発見した!つまり、クリ 坊のおじいさんが、あのポストカードのDKRなのだ!この事がはっきりした時点で、私はすっかり興奮してしまって、「ああ、もっとクリ坊に色々聞いておく んだった」とか、「あのカードを手に入れておくんだった」と後悔した(夜遅くなってからの発見だったので時既に遅しであった)。翌日にはグラーツを去る事 になっていたし、会場に出展していた各ショップも昼間既に後片付けに入っていたので、カードはウィーンに戻ってから探すしかなかった。

★そしてついに念願かない「クリ坊」との記念の一枚!私達が手にしてるのは毎晩ホテルで配られていたリンゴ。

 KIN138にウィーンに移動し、KIN139の午前中に仏教関連の書籍やカードが充実している「オクトパス」という店を訪ねた。最初にウィーンに入っ たときにも立ち寄っていて、ポストカード類はグラーツの会場よりも間違いなく充実しているのがわかっていたので、簡単に見つかると思っていたが、そうは問屋が卸してくれず、2人 でしらみつぶしに探してみたものの、お目当てのカードを見つける事ができないまま時間だけが過ぎていった。あきらめ切れない私は、一度探した場所をもう一回し つこく引っかき回していた。と、その時、あるカードに引っかかって一枚のカードが空中に舞い上がり床の上にポトリと落ちた。何と!!そこに微笑んでいる のはDKRその人ではないか!!!探しまくっていたカードが自ら空中に飛び上がって姿を現してくれたのだ。これにはさすがに驚いて、二人とも開いた口が塞 がらなかった。まるで「よく見つけたねー!」とでも言っているかのようなその表情。やられた。参りました。そんな感じだった。とにもかくにも、目的のカー ドをこんな劇的な演出付きで手に入れられたのだから何も言う事は無い。ただただこのご縁に感謝し、またいつか「クリ坊」に会うことができるチャンスが巡っ てきたら、是非この事を伝えたいと思った次第である。

 その後、DKRは、ダライラマ法王やチョッギャム・トゥルンパ・リンポチェ(ホゼの師匠で親友でもあった)にもニンマ派のゾクチェンの教えを伝えた大変 な人物だという事がわかった。先のダラムサラ・ツアーで手に入れた『Masters of Meditation and Miracles』にもその名を連ねているし、どうやら私達はDKRの包囲網から逃れることができないように仕組まれているようだ。その事を裏付けるよう な最新の発見が、Nちゃんのメールをきっかけに生じた。DKRの実の孫にして、前世ではDKRの師匠であったクリ坊ことシェチェン・ラプジャム・リンポ チェのお寺を調べようとネットで検索していたら、シェチェン寺のHPに 辿りつき、あちこちクリックしているうちに、実はグラーツの前に行ったブッダガヤで既に繋がりができていた事がわかったのである。グラーツからほぼ正確に 1スピン(260日)前、私達はブッダガヤにいた(この時、ダライラマ法王の体調不良でカーラチャクラは中止になった)。KIN132の日に訪れたあるお 寺が、ブッダガヤにある数あるお寺の中でも最も美しく印象に残っていたので、その時のツアーの感想にも「シッキム寺が特に素晴らしかった」等と書いてし まったのだが(ネットでこの寺の名を検索すると私が書いたこの感想だけ出てくる)、実はこのお寺「シッキム寺」ではなくて「シェチェン寺」であったという 事が、今頃わかったのだ。手元にある当時の写真とHPの写真を見比べても全く同じだし、当時の写真には運良くお寺の案内看板も撮れていて、スペルを辿る と、ちゃんと「シェチェン寺」と判読できるのだ。どうやら最初に思い込みで読んだまま間違って覚えてしまったようだが、今回、こうしてこの発見を楽しむ事 ができたのだから、これも一種のテルマなのかもしれない(ふさわしい時にふさわしい形で開示されるという意味で)。もちろん、シェチェン寺を建立したの は、我らがディルゴ・ケンツェ・リンポチェである!

 ★ウィーンのオクトパスでやっと手にした、飛び出すカード!

 いつになく長い日記になってしまったが、カーラチャクラの灌頂を受け、DKRとのご縁が生まれた時とほぼ同じウェイブスペルのKIN136にこの事が書 けたのは、まさに時の輪(カーラチャクラ)の力のお陰であろう。このシンクロニシティ(ご縁)と、この日記を読んで下さる事で物語に参加し、新たな回転を 生み出すエネルギーを下さった皆様に心から感謝したい。というわけで、ダイアリーページのトップになぜあの写真が掲げられているのか、少しはお分かりいた だけただろうか。ちなみに、上記HPによると、DKRは既に転生し、すくすくと成長されているご様子。いつの日かきっとお目にかかれる時が巡ってくる事だ ろう。この物語は、ここへ来られる皆さんを巻き込みながら今この瞬間も進行し続けているに違いないのだ。


倍音の月27日(G12/11)7・地球  KIN137「マブヤ落とす」(by L)

「今夏は海に潜っていないー・・・」と呪文のように繰り返すDの願いを叶えるべく(と いうか、マイレージがたまってたので)、沖 縄でシュノーケリングを楽しんで来た。遠浅の珊瑚礁は熱帯魚だらけ!まるでカラフルな宝石が散らばって輝いているみたい。私は特にマリンスポーツが好きという訳 じゃないけど、美しいものを見るのが大〜好き。海の中で見た眩い光景は、私の人生の一部となり、やがては何かに表現されるかもしれない。


 
ところで、ビックリする事を、沖縄では「マブヤ落とす」と言うそう。この言葉、あまりにも可愛いので、今回の旅の流行語大賞に決定!ガイアシンフォニーの 第5番をご覧になった方ならマブヤは何かお分かりですよね。そう、マブヤ=魂。「魂消る(たまげる)」とか「肝を潰す」とかの表現にも似ているけれど、 「マブヤ(魂)落とす」という表現、そのまま絵が浮かんでしまう感じ。ビックリして口がアングリ開いちゃった。なんて時は、きっとマブヤをポロっと落っことしちゃった りしてるんだろう。東京に戻って、寒さと忙しさで体調を崩し久々に熱を出す。でも、普段から驚きすぎ!とよく注意される私だ。体調崩した一番の原因は沖縄でマブヤ落っ ことし過ぎた事かも。石垣のノンちゃんのお店、パームサンデーマニックで、先日行って来たばかりのインド・ヒマーチャルプラディッシュ産の水晶を手に入 れる。テレクトノンのプレイングボードの上は、今やメキシコ産のカメさんや、ヒマラヤの水晶や、なんだか色々と楽しくなっていて、オリジナルのコマがだんだん減っている。ボードがマブヤ落としちゃう程 喜んでくれてると良いんだけど。


倍音の月28日(G12/12)8・鏡  KIN138「Everything is reflection of everything」(by L)

3年くらい前の事だったと思う。キッチンの鍋をある日一つ残らず処分した。突然気付い たのだ。こんなにいっぱい色々持ってるのに好きな鍋が一つも無い!と。元々あったからとか、頂いたからとか、使えるからとか、理由は様々だったと思うけど 「不自由してる訳じゃないから、これでもいい」なんていうものばかりを持っていた。しかーし、全ては全ての反映だ。お鍋だって私の生き方を映し出している 一部だとしたら「これでもいいか」なんてことあって良いわけ全然無いじゃん!

という訳で、その時すべての鍋を処分した(当時住んでいたマンションにはリサイクルのコーナーがあり、翌日には鍋達は全て誰かに引き取られていたので助 かった)。突然実行したので、暫くのあいだはミルクを温めるのにも事欠いたけれど、ものすごい開放感、長い眠りから覚めたような気持ち包まれたのを覚えて いる。それで思ったのだ。ものだけじゃない。人間関係も、仕事も、そしてもちろん、何を考え何を信じるのかも「これでもいいか」なんてものは私の人生に無くて良いのだ♪ そこに最大限の喜びが見い出せないのなら、さっさと状況を変えてしまおう!

で、今家のキッチンにあるのは、※ル・クルーゼとはかせ鍋が各2個ずつ。この鍋たちがあるだけで、いつもキッチンに立つのが嬉しくてたまらなくなるんだから、 たかが鍋と言ってはいけない。「悪くはない」程度に甘んじるのはやめよう。何であれ自分を幸せにするものをきちんと選ぼう。全ては全ての反映だ。とてつもなくHAPPYな気持ちは「これでもいい か」なんてところからは、決してやっては来ないのだ。・・・と今日も朝からキッチンで思う私であった。

※ ル・クルーゼはあまりにも有名だけど、はかせ鍋はもっと広く使われても良いはず。魔法の様に何でも美味しくできちゃうだけでなく、省エネ効果抜群群!


 
↑自己存在(4)の月日記へ
律動(6)の月日記へ→

「シー」目次へ戻る