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時間芸術学校クリカ「シー」
黄色い宇宙の種の年(2005.7.26 - 2006.7.25)


共振の月19日(G1/28)4・犬 KIN30「生還しました!」(by D&L)

南インドとスリランカから元気に戻りました!
南インド・アマラバーティでのカーラチャクラの儀式と超サバイバルなテント暮らし、そして緑に輝く楽園ユルユル生活のスリランカ・・・3週間の旅の様子は、近々バリバリ書きまくる予定ですのでお楽しみに!その間、とりあえずといっては何ですが、よろしければ「笑門来福」という事で、友人のダラムマサヤ氏が紹介してくれた、笑いっ放しになってしまうサイトをお楽しみください。ところで、先日、帰国したばかりの私たちのところにランチに遊びに来てくれた彼、さっそく「イカスじい」に初遭遇!さすがツイてるアーティストは違う。そしてイカス爺パワーか、彼には翌日からラッキーの嵐が舞い込んでいる模様。★遭遇の様子はこちら→クリック(しかし、何故イカスじいが、ダライラマ法王似になってしまったのかは不明。実際には、お二人はまったく似ていません。念のため。)

共振の月20日(G1/29)5・猿 KIN31「共時的旅行記のゆくえ」(by D)

昨年(G暦だと一昨年)の「ヒマラヤ・シンクロニック・ジャーニー」の時もそうだったが、2週間とか3週間、ネット環境から完全に切り離された所に行くというのは、ある意味非常にリフレッシュされて良いのだが、そういう時に体験する事はものすごく密度が濃いので、後でHPにUPしたいと思うような出来事は、手帳の狭い余白にギッシリと書き込まれて行くばかりで、それを整理して実際にUPするのには、かなりの時間を要する事になってしまう。その上、そういう旅で4次元的にチャージされた直後は、シンクロ率も高まって、益々シンクロな日々が続くので、それを忘却しないようにダイアリー化していく事をやっていると(といいつつこれも実にノンビリしたペースでしかできていないが)、さらに旅の報告は遅くなってしまう。

こういった状況を解消するために、いくつか良い方法を思いついた。ひとつは「時空のサーファークラス」に新しく設けた、シンクロをシェア(共有)するための時間「シンクロニック・ミーティング」だ。これは、参加者の皆さんにもシンクロ体験を持ち寄って頂き、相互交流することで、お互いのシンクロ率をさらに高め合おう、というコンセプトで実験的に始めたものだが、主催者としては「ネタのひとつも持っていかねばなるまい」という事で、せっかくならダイアリーにUPしきれていない旅のシンクロ体験を語らせてもらおう、という訳だ。もうひとつは、現在準備中のメルマガである。日々起こるシンクロは、このコーナーで書かせてもらうとして、旅の時に書き留めたメモの方は、メルマガにて順次公開させてもらい、ある程度まとまったらHPの専用コーナーにUPしていく、というやり方である。という事で、シンクロ体験満載の旅行記は、近日発行予定(と言いながら掲示板で宣言してから既に2ヶ月経過・・・2週間以内にはホントに発行したいと思ってます)のメルマガをお楽しみに!
 
さて、今日のサーファークラスも面白い人達に沢山ご参加頂き(感謝!)、私も楽しませて頂いたが、「銀河の署名」を出す際の例題になって下さった方が、またしてもKIN69だったのには驚いた(倍音の月9日を参照)。ここ数ヶ月、「69」という数字がやたらと登場するのは、私達が「陰陽」とか「月・日」「明」「明鏡」とかに注目しているからだろうか。そういえば、パレンケの「碑銘の神殿」の中央階段も69段だ。あ、ついでにもうひとつ思い出したが、7年程前、この「碑銘の神殿」の上で、持参した「テレクトノン」をプレイした日は、「赤い律動の月の年」の「赤い律動の月の日」だった。という事は、音とコード番号に分解して書くと、これも「6・9」となるではないか!・・・てな事をやり始めると止まらなくなるのでここまでにするが、もう一人、初参加の男性に署名を聞くと、KIN222との事。私が良く聴くアーティストのトップ2が4次元的に揃って(坂本龍一→69、スティング→222)密かに嬉しかったが、こんな事で喜ぶのは、はっきり言って暦オタク以外の何者でもない。
 
クラス終了後、さらに面白い事が分かった。当初、友人と2名で申込んで下さっていたのに、お友達が都合で来られなくなり(急な仕事が入ったとか)、お一人で参加された方がいたのだが、何と、その来られなくなったお友達というのが、須藤元気さん(律動の月13日参照)だった事が判明!興味深い事に、今回ご参加下さった方の中には、もう一人別に須藤さんの友人がいらしていたのだが(この方も須藤さんから2週間位前に、友人と共にクリカに参加するかもしれない、という話を聞いていたらしい)、その方が帰られた後で判明した事だったので、残念ながら今回は、須藤さん繋がりのお二人に直接意識的に交流して頂く時間を持つ事はできなかった。クラス中は、お伝えする情報量の多さゆえ、ほとんど私が一方的にしゃべくる展開になってしまうので、参加者同士の交流は、休憩時間か開始前・終了後位に限られてしまうのだ(同じテーブルになった人同士は互いに自己紹介して頂くが)。「シンクロニック・ミーティング」は、先に書いた理由の他に、せっかく暦を通じて集まった多彩で楽しい仲間が、交流を深める時間を持てないのはもったいな過ぎる、という気持ちもあって始めた側面もあるので、別に持ち寄るシンクロ話が無くても、情報交換・交流の場として、気楽にご参加頂ければと思う。とにもかくにも、須藤さんとは、”時”が要請するタイミングに従って、いつかお会いできるのを心から楽しみにしている。
 
また、長くなってしまったが、ラストに自分ための数字メモを付記するのを許されたい。今週から第3四半分(期)が始まったが、年間を通じると27(3×3×3)週目(KIN27を含む週)で、月の中では3週目。コドンは33(3×11)「献身」、二相コドンも「3・月(9)」の日からは9(3×3)「修練」で、SBTS(ソーラー・バイオ・テレパシー・ストランド)も9(3×3)本目に入った所だ。「赤い月(9)」がやたらと来ているのも、今年が「20の銘板」の9枚目に当たる事から考えると(こよみ屋手帳P19 、20)自然な流れのように思えるが、一方で、来年の「赤い磁気の月(月の創世記)の年」への魔術飛行を、意識的に行なうよう促されている気がしないでもない。「カーラチャクラ2006」のサイトによると、私達が受けた最初のカーラチャクラ灌頂は、ダライラマ法王による27回目a(中止になったブッダガヤ)&27回目b(グラーツ)であり、今回のアマラヴァティが記念すべき30回目だった事になっているが、27回目bの最中に故郷のグラーツでダライラマ法王と再会したハインリッヒ・ハラー(セブンイヤーズ・イン・チベットの著者)が、30回目の最中に93(3×31)歳で他界した事には、何か特別な縁を感ぜずにはいられなかった。これだけ3とか9を意識させられると、さらに色々とイマジネーションが湧いてしまうが、「3」という原初の運動サイクルからフラクタル的生み出される「9」は、「13の月の暦」においては、音で「太陽(日)」になり、紋章で「月」になるという、陰陽一体の不思議な数字でもある。


共振の月23日(G2/1)8・魔法使い KIN34「平成館にて書聖と天皇に謁見」(by D)

約1ヶ月ぶりの「エテルニータ」で少し遅めのランチを頂き(やっぱりここのパスタは極好!)、お腹も気持ちも満たされた状態で、上野の東京国立博物館へと向かう。「書の至宝/日本と中国」を観るためだ。「名筆、時空を超えて一堂に」というサブタイトルが示すように、王義之、蘇軾、空海、良寛など、キラ星のごとき名人達の本物作品がズラリと並ぶというのだから、書を学ぶ者として見逃す事はできない。長旅に出ていた私達は色々とやる事も溜まっていて、2月19日までの開催期間中、会場に足を運べそうなタイミングは、今日を含め2日程しか見つけられなかった。しかし、こういう催しは行ける時に行っておくのが時空のサーファーとしての鉄則だ。
 
雨の平日午後という条件も良かったのか、会場は想像していた程には混み合っておらず、短い時間ながら割とゆっくりと作品を観る事ができた。G昨年末の書法塾発表会のときにLが臨書した趙孟ふの「玄妙観重脩三門記」の現物をはじめ、米ふつや虞世南、一休など、見事としか言いようの無い作品が、これでもかと並べられていたが、現在の私のアンテナに最も強く響いたのは、空海の「金剛般若経開題」(有名な「風信帖」の方に人は集まっていたが)と王守仁(陽明)の「草書七言律詩軸」だった。特に王守仁の作品は、どこから観ても「カッコイイナー」と唸るばかりで、しばし見とれてしまった。
 
それにしても、今回ひしひしと感じたのは、やはり書法塾での指導法の素晴らしさである。私はまだ入塾1年半のヒヨッ子だが、それでも展示されている書家の半分位は、聞いた事のある名前だったし、あくまで独善的な見方ではあるが、その書のどういう部分が特徴なのかを、雰囲気位はつかめるようになっていたからだ。別に人名を覚えるクラスがあったわけでも無いのに、自然と名前が頭に入っていたのは、初心者でも名人の臨書をさせてもらえる機会があったり、先輩方がそれぞれ全く異なった名作の臨書をし、それを普段のクラスや発表会などで目にする事で、自然と慣れ親しんでいるからだろう。また、先生が講評の時などに教えて下さるポイントは、そのまま書を観る目を育てるのに役立つ事ばかりなのだという事も実感した。そして、授業で使うテキストや発表会用のお手本が、いかに選び抜かれたものばかりであるか、という事も。全くもって先生方には頭が下がる思いだが、そういう事に気づけたのも、この会場に足を運んだからこそ。やはり今日は来て良かった。
 
帰りに、今回の展示作品の図録を手に入れたが、これだけの名作が集まったフルカラー図録が3000円というのは、絶対にお買い得だ。この時期に「書の至宝」が開催された事に感謝したい。展示会場となっていた「平成館」を閉館時間ギリギリ位に出ようすると、なにやら緊張感のある空気が漂っている。SPやスタッフの数も半端ではない。私達は本館の連絡通路からここに入り、帰りも本館への道を案内されたが、「平成館」の正面入り口には、記者やカメラマンも集まっているようだ。どうやらこれは相当の要人が来ると見た。スタッフが誰かに説明する声を聞いて、それが天皇・皇后両陛下である事が判明した。入り口で待ち構えているのは、博物館スタッフとSP、記者が殆どで、私達を含む一般客は意外と少ない。別に制限はされていないようだったが、だならぬ様子に気づいた人だけがその場に残る事を選んだという事らしい。
 
待つこと数分、どうやら入り口に車が到着したようだ。安全ロープから大分引いた場所にいた私達は、スタッフの方の「どうぞもっと前へ」という声に促されて、ロープギリギリの所まで行くことにした(その場に居た人が少なかったのと、お出迎えにはそれなりに人がいる方が良いのだろう)。と同時に「携帯やデジカメでの撮影はご遠慮下さい」とも言われたので、密かに持っていたミニデジカメは素直にしまう事にした。まもなく目の前に現れたのは、紛れも無く今上天皇、そして美智子皇后だった。10メートルと離れていない位置で、間に何も遮るものがない状態で(それまでの警備は何だったのか護衛の一人もいなかった)両陛下と相対するというのは、なかなか稀な体験だ。というか生身の天皇を見たのは、私もLも生まれて初めてのこと。お二人ともこちらをしっかり見て下さって(といっても別に私達だけを見てる訳ではないが)、ニッコリして下さるものだから、Lは手まで振ったりする始末。まあ、Lの「運命の道筋」が先の満月でKIN16(=昭和天皇)になったばかりだった事や、ちょうど231(LのKINナンバー)日前に、「マザー・テレサ」のロイヤルプレミア試写会で、美智子皇后を間近で(この時は手を触れられる位)拝見したりしていたから、通常状態より親近感が湧いていたのかもしれない。
 
天皇陛下は割と最近(といっても数年前だが)手術をされたはずだが、とてもお元気そうだったし、髪も少し長めに伸ばされていて(多分今までテレビ等で見た中では一番長いと思う)、若返られたような印象があった。また、美智子皇后はプレミア試写会の時同様、隙のない美しい立ち居振る舞いで、感動させて下さった(もちろん天皇陛下もスッとした美しい立ち姿だった)。このような美しい立ち居振る舞いができるのも、日常生活の動きの中で、それが当たり前になっているからだろう。天皇制や皇室についてここで深く言及するつもりは無いが、日本の美の本質を表現する生きた存在として、皇室はとても意味のある大切なものを伝えているように思えた。ちなみに、天皇と美智子皇后の銀河の署名は、それぞれ「白い宇宙の魔法使い(KIN234)」と「青い月の鷲(KIN15)」である(という事は、アマラヴァティのカーラチャクラ灌頂の第一日目は、美智子皇后の銀河のお誕生日とシンクロしていた事にもなる)。
 
外はあいにく雨が降り続いていたが、明仁天皇に王陽明(守仁)という太陽(明)に照らされて、心は限りなくハッピーだった。最新のダイアリーに「明」の事を書いたのでシンクロしたのかもしれないが、付け加えておくと、Lは最近書法塾で「明鏡」という名の筆も手に入れたばかりだ。だから、これから私達は、ますます太陽との繋がりが深くなっていくだろう。そういえば、今上天皇は125代天皇という事になっているが、「明鏡」がご神体の伊勢神宮の総社数もまた125である。そして、数字ついでにメモさせてもらうと、図録のP114(LのG暦誕生日は1/14)には、Lが『鎮江市主催米ふつ記念国際書法展』(中国)にて第一席 鎮江博物館館長賞(準グランプリ)を受賞した時のお手本「元日帖」が、そしてP241(DのKINナンバー)には、今日、私が最も感銘を受けた王守仁(陽明)の「草書七言律詩軸」が掲載されていたというシンクロまであった。と言うわけで、今日もまた長い日記になってしまったが、実際ビックリするシンクロが起こりまくってしまうのだから仕方あるまい。


共振の月27日(G2/5)12・鏡 KIN38「スパイス・マジック」(by L)

旅から帰って10日程の間に2回カレーを作った。正確に書くと、この一週間に大鍋で2回。Dが大のカレー好き、カレー男・・・というのもあるけれど、今回はスリランカからワンサカ持ち帰ったスパイスのせい。セイロン島は緑の楽園・スパイスの宝庫だ。歩いていると、いつもどこからともなく芳香が漂ってくる。庭先の新鮮なスパイスやハーブを、食事のつど採って使うお家も多いと聞く。何ともうらやましいお話!もちろん、お店でもフレッシュなものが豊富に手に入る。

古都キャンディを訪れた際、目抜き通りのマーケット(一般市民御用達)で、ありとあらゆるスパイス(+塩)を買い込んだ。興奮していた私たち(←強度のスパイス・フェチ)、欲望に身をまかせてあれもこれも・・・と気がついたら「両腕がちぎれる程」の量ではないか。店員さんも驚いていた。お会計、お財布のルピーで足りるかな?と気になったが、このボリュームにして1,000円程(外国人の私たちが、気軽に安いとか高いとか言うべきではないだろう。でもTokyoだったらスパイスの小瓶が2〜3個手に入っておしまい!)だった。

かくして我が家のキッチンは、今、スリランカン・スパイスでいっぱい(うっとり)。その野性的な香りに包まれると、「今日もカレー」の魔法に掛かってしまう。私たちは、ここ6日間(しかもDは朝から)カレーを食べ続けている。


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