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青い水晶の嵐の年(2004.7.26 - 2005.7.25)自己存在の月
ヒマラヤ・インド・シンクロニック・ジャーニー


自己存在の月12日(G10/29)3・魔法使い KIN94パドマサンバヴァのエンパワー(by  D)

昨夜の興奮が冷めやらないのか、夜中に2度ほど目を覚ました。2回目の時は、学生時代のサークル合同合宿がウィーンで行なわれ1500名もの人が集まっ た、という鮮明な夢で目覚めた(もちろんありえない話)。もともと、私の夢には学生時代(小学校から大学まで)の友人がごちゃ混ぜでよく登場するのだが、 今回の夢は、2年前のオーストリアの旅と関係があったかもしれない。大勢の人が集まるカーラチャクラの灌頂を受けているし、この教えの中で説かれるシャン バラという国が8つの蓮の花びらのような山々に囲まれている、等という話も聞いた。それに、チベット僧のカード(ダイアリー・トップページ参照)を不思議 な形で手に入れたのは、ウィーンの「オクトパス」という店だったが、この僧の系譜(ニンマ派)の開祖がパドマサンバヴァ(=目の前にある蓮華湖で生まれた 伝説を持つ行者)なのだ。

時計を見ると、まだ3:30。目が冴えてしまったの で、バルコニーに出てみると、皓々と輝く満月の周りに、巨大なレインボーリングが出現している!月の周りにできる虹は割とよく見かけるが、こんなに巨大なのは初めてだし、山に囲まれた深夜の湖の静けさとも相まって、実に神秘的な雰囲気を醸し出している。これを一人だけで楽しむのは申し訳無い、という事でLをたたき起こし、しばしこの特別な時間を一緒に味わう。私はその後も、ホテルの外に出て写真撮影を試みたり、瞑想したりして、リングが消えてしまうまでの一時間余りをたっぷりと堪能させてもらったので、ちょっと横になったらもう起床時間となってしまった。何故なら、昨日フロントで、早朝洞窟ドライブ用にタ クシーを頼んでおいたからだ。下に降りていくと、まだ人気の無いロビーにやって来たのは、何と!昨夜バッタリ再会した「法輪タクシー」 の運ちゃんだった!この辺りのタクシー業界は、案外狭いのかもしれないが、そうは言ってもこの運ちゃん、昨日までは数百キロ離れたデリーにいて明日も全然 違う方向に行くらしいから、こんなピンポイントドライブにタイミングが合ってしまうのは、やはり縁があるとしか言いようが無い。6:00にホテルを出発 し、昨日行った「パドマサンバヴァの洞窟」へと向う。岩場の一番高い所に 登ると、ちょうど沈む満月と昇る太陽が、ほぼ反対側に同時に見える瞬間を迎えたので、朝陽に向って感謝の天真五相をする。その後、昨日不思議体験をした No3洞窟へ行き、30分程瞑想。やはり昨日と同じバイブレーションを感じる。洞窟の外に出ると、辺りはすっかり明るくなっていて、帰途に就く私達を、昨日の小さな尼さんが笑顔で見送ってくれた。

ホテルまで「法輪タクシー」で戻り、そのまま朝食をとりに外に出かけようとした所、Lが「お手洗いに寄ってから」というので、フロントで待っていると、何 と!昨日A・テンジンの所でお世話になった(英語・チベット語通訳をして下さった)Kさんが、階段を降りて来るではないか!昨晩、街中で再会しただけでも ビックリだったが、まさか同じホテルに泊まっていたとは!向こうも気が付いて、軽く挨拶を交わしたものの、どうやらお急ぎの様子で、すぐにフロントで電話 を掛け始めた(この地で一番のホテルのはずだが、部屋に電話は無いのだ)。ちょうどLが戻ってきた頃、彼の電話も終わったので、改めて挨拶をしたところ、 思いがけず面白い話を聞かせてもらう事ができた。曰く「実は今、1年近くの準備の末、ネパールからとあるニンマ派のラマを呼んでいて、約1ヶ月に渡って秘 密の教えを伝えてもらっているんだ。私がオーガナイズして、数日前には、ダラムサラで日本人グループ数名に対しても灌頂や儀式を執り行っていたんだよ。今なら会えるから、ちょっと挨拶して祝福してもらっていくかい?」との事。食事に出かけるところだったが、こんな話は、こちらが望んだってそうそうやって来るものではない。二つ返事で「はい、もちろん!」と彼の後に付いていくと、何と、私達の部屋の隣にそのラマはいらっしゃった!(Kさんファミリーは、お向いの部屋に泊まっていた事が判明)

部屋の奥の椅子に腰掛けたラマは、僧衣の上から赤いフリースを被っていたりして、一見するとチベットの緒方拳、と言った感じのフツーのおじさんなのだが、 周りにいる人々の振る舞いや様子からは、やはり相当特別な存在である事が伺えた。普通、ラマに対しては、五体投地をしたりして挨拶をするのだろうが、その辺りの「間」がイマイチ分かっていない私達は、どう振舞って良いかわからず戸惑っていた。すると、ラマが「そこに腰掛けなさい」という感じのゼスチャーを して下さったので、Kさんに確認をしつつ、椅子の一番近くにあるベッド(多分ラマが寝ていた所)に腰掛ける事にした。最初、緊張していてよく見えていなかったが、私達とKさん以外の全ての人は、床の上(地べた)に直接座っていて、その中には、Kさんファミリーだけでなく、昨日A・テンジン宅を坂道を戻って案内してくれた尼さんの姿も見られた(やはりご縁があったのだ)。なんだか自分達だけクッションのある場所に腰掛けているようで申し訳なく、再度Kさんに確認してみたが、「ラマが良いと言ったから大丈夫」とのこと。しばらくすると、ラマはおもむろにお経を唱え始めた。5分、10分・・・あれ?祝福は?と 戸惑う私達をよそに、ラマはひたすらお経を唱え続けている。どうやら、前触れなしに本番(灌頂か何かの)が始まってしまったようだ。こうなったら有り難くこの場に居させてもらうだけだ。

目を閉じると、心地よくお経が身体に響き、時に内側から熱くなったりする感覚を味わったりした。後でLに聴いたら、もっと面白い体験をしていて、「目を閉じると、ラマの口から発せられるお経が連続する板状の輝く物体となって、空中を飛び、自分の身体の周りを旋回しながら染み込んでくる感じだった。まるでマツボックリにでもなったような印象。でも、目を開けるとフツーのおじさんで、また目を閉じると同じように観えた」とか。そんな訳で、意味の全く分からないお経を聴いていても、退屈する事はなかったが、朝食後すぐに出発する予定を立てていたので、途中からは、約束したタクシーの運ちゃんとの待ち合わせが出来るか等、色々と気になってきて、時々目を開けてはお経の進み具合を気にする、という煩悩に満たされてしまった(他にも、このベッドの位置だと、昨夜自分達 はラマに足を向けて寝ていたな、とか雑念も湧いたり)。見た目そんなに厚くないお経(紙に印刷されたもの)をかなり高速で読み上げてはいるのだが、一枚一 枚が薄い上に両面あるので、なかなか残りの部分が減っていかないのだ。後半に差し掛かった頃(といってもラマの手元にあるものが儀式に必要な全てのお経だとしたらだが)、皆の表情が「ありがたやー」というような感じになって、道案内してくれた尼さんなどは涙まで流していた。きっと、本当に貴重で大切な教え なのだろう。小一時間位経っただろうか、ようやくお経が終わって、参加者一人一人がラマに捧げものをしつつ、祝福を受け始めた。Kさんが、こっそり「○○ ルピー位お布施して下さい」と教えてくれたので、皆と同じように並んでその通りにし、祝福を受けた。ちなみに、この時お布施した金額は、外国人価格という訳でもなく、普通の参加者と変わりなかったし、私達は他に何も持っていなかったのでお金という事になったが、参加者によっては果物だったり、お菓子だったり色々だった。この時、ラマからは、ラマの根本ラマ(師匠)の写真(Kさんによるとドゥンジョン・リンポチェ)と、ミニ冊子(どうやらお経が書かれている 模様、間には魔除のシールも挟まっていた)、そしてエンパワーされた柿を頂いてしまった。

Kさんによると、今のは「パドマサンバヴァのエンパワー(灌頂、加持)」だったそうで、彼もラマがいきなり本番に入ってしまった事は予想外だったようだ。 というのも、ダラムサラのKさんの元に来ていた日本人グループは、この灌頂を受ける事が一番の目的で、わざわざ日本から来ていた位で、通常、私達みたいな 飛び入りが気軽に受けられるようなものでは無いらしいのだ。そんな訳で、私達にとっては、猫に小判の教えだったかもしれないが、バイブレーションとして細 胞や魂のレベルでは確かに何かを授かったと思うし、どんな形であれ、パドマサンバヴァ誕生伝説のこの地で、パドマサンバヴァのエンパワーを受けられた、という事に対しては、素直に喜んで良いだろう。Kさんによれば、今のお国事情の中、ネパールからインドにラマを呼ぶだけでも膨大な準備が必要でとても大変な事らしいし、そのラマがツォペマに滞在しているのは、明日位までらしいから、やはりこの場この時に居合せる事が出来たのは、それだけで幸せな事なのだ。そ もそも、昨日、A・テンジン宅を訪れたタイミングが数分ずれていたら、こんな事は起きていなかっただろう。ホテルで隣の部屋ににラマがいて、向いの部屋に Kさんファミリーが宿泊していても、あそこでKさんと顔を合わせていなければ、ただ知らないチベット人ファミリーが宿泊しているだけ、という事になってい たはずだ。振り返ってみれば、旅の始まりからこの瞬間に至るまで、一体どれだけのシンクロニシティに導かれたことだろう。歯車の一つがほんの少しでも食い 違っていたら、私達は、ダラムサラにすら足を運んでいなかったかもしれなかったのだ。ましてや、ツォペマ滞在の最後の瞬間に、パドマサンバヴァの灌頂を受 けるなんて事は、想像の中にすら「ありえない」事だった。実際、一時間程前にKさんにフロントでバッタリ出くわさなければ、そのまま朝食に行っていたのだ から。

ところで、写真を頂いたドゥンジョン・リンポチェは、近代の著名なリンポチェの一人であるが、そのお名前を、日本からのフライト中に呼んでいた『セム』 (ゾクチェン研究所)で見かけていたせいもあって、また中沢新一さん(ゾクチェン研究所所長)にお世話になってしまったなー、という印象を受けた。前にも 書いたかもしれないが、私がチベット仏教に興味を持ったきっかけは、彼とその師、ラマ・ケツン・サンポが著した『虹の階梯』(平河出版社)だったし、この 本にはパドマサンバヴァはもちろん、ドゥンジョン・リンポチェも登場していたはずで、今、こうしてドゥンジョン・リンポチェ直系のラマから思いがけず灌頂 を受けた事の根には、20年近く前に読んだこの本の影響が、少なからずあると感ぜずにはいられなかったからだ。Kさんとラマに御礼を述べて部屋を出ると、 時計は既に出発予定時間を示しつつあったが、タクシードライバーに断りを入れて、遅くなった朝食(ブランチ)を摂りに、昨夜訪れた「ZIGAR MONESTLY'SCORNER レストラン」を目指した。チベットパンとパンケーキを堪能し、午前中のうちにツォペマを出発。ちなみにタクシーは、今朝洞窟往復をしてくれた法輪タクシー ではなく、マンディ→ナガール→ツォペマと運んでくれた0175ナンバーで、ドライバーはもちろんあの寡黙で気のいいお兄さん(法輪の兄弟)である。一度 通った道なので、帰りは少しゆったりした気分で景色を眺めつつ、気持ちの良いドライブが続いた。途中ノルブリンカに立ち寄ってから、夕方ダラム・サラ中心 部のマックロードガンジに到着。長旅を共にしてくれたドライバーに感謝の気持ちを伝え、そのままホテル・チベットにチェックイン。ここでも、また部屋番号 は201だった。

ひと休みしてから、外に買い物に出かけようとすると、 ホテルの入り口にあるベーカリーで、マリアさんのお嬢さんとバッタリ再会。ボーイフレンドが一緒だったので、少しだけ話をして早々に退散。しばらく街をブ ラついた後、TCV(チベット子供村)で作られた製品を売っているお店で、閉店間際まで粘ってチベット服などを入手。シャングリラ・レストランで夕食を 摂ってからホテルに戻り、お茶を頂きつつ一服。部屋でテレビをつけてみると、何と数日前に生で見たTCVでの44周年記念行事の様子がビデオ放映されてい て、画面の中でも、またマリアさんのお嬢さんを見つけてしまった。一度チャンネルが合うと、こういう事は自然に起こってしまうようだ。そして、長くて濃い 一日をボンヤリと振り返っているうちに、いつしか深い眠りへと導かれていった。


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