ハーモニック・コンバージェンス33周年「神秘の柱」

ホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻が「ケツァルコアトルの預言(13の天国と9の地獄の預言)」に基づいて呼びかけた平和の祭典「ハーモニック・コンバージェンス」が行われたのは、1987年8月16日(KIN55)&17(KIN56)。

このイベントの真意を理解していた参加者がどの位いたかはさておき、「144,000人の太陽の踊り手が必要だ」という呼びかけが、黙示録(144,000人に関する記述あり)に馴染みのあるキリスト教圏の人々には響いたのか、実際に相当数の賛同者が世界各地の聖地に集ってこの日を祝ったとされている。

その時点ではまだ『13の月の暦(ドリームスペル)』は未完成で、閏日も今とは異なる方法で調整していたプロトタイプの暦(G7/26を元旦にしつつ日付の呼称は古代マヤ暦的なもの)を用いていた事が『マヤン・ファクター』(VOICE)の記述からも読み取れる。

しかし、『ドリームスペル』が完成した1990年の時点で、26,000年のフラクタルを意識した26年(1987〜2013)のカウントダウンを設定する必要性から、『ドリームスペル(13の月の暦)』では起点を少し遡って1987年7月26日(KIN34)としたようである。

ハーモニック・コンバージェンスは、その起点から21日後のKIN55(3・鷲)に行われた。そこからぴったり10年後の1997年8月16日(KIN65)、「時間の法則に関する世界会議(東京)」を無事終えたアグエイアス夫妻は、パンジャパンのメンバーと共に、ケツァルコアトルプロジェクト(1987〜1997)の完了を祝う瞑想を早朝の目黒不動で行い、その後、近くのデニーズで打ち上げをした。

この辺りの経緯は、パン・ジャパン・ライブラリー「黄色い倍音の年」(1)の後半に、アグエイアス夫妻による記述がそのまま公開されているので、根気があれば誰でも確認可能である。夫妻は、その日のうちにハワイに向かって飛び立ち、日付変更線を跨いだので、結果的に2回この日を祝う事になった。2回目はマウイのハレアカラ山頂で祝ったと記されている。

それから23年、ハーモニック・コンバージェンス33周年に当たっていた昨日、私は「神秘の柱」瞑想を呼びかけた。なぜなら、33周年当日が20:13ツォルキンマトリクスの中央「神秘の柱(KIN121〜KIN140)」の最終日に当たっていたからだ。

この「神秘の柱」は13列ある調波行程(竜から太陽の20日)のうち、唯一GAPキンの無い中央7列目の行程であり、人間でいえば背骨に当たるような中心軸と言える。それは同時に地球の北極と南極を貫く軸であり、太陽系を一つにまとめ上げている太陽の回転軸であり、銀河系の中心軸でもある。

この「神秘の柱」のさらに中央に位置するのが調波33で、『時間の法則の20の銘板』における「虚空コドン」が対応する事を知っていると、今回の33周年がいかに特別なタイミングあるかが分かる。当然の事ながら「33」は、20+13(=太陽の紋章+銀河の音)=11+22(=ホゼ+ロイディーン)でもある。

33年前に取られた「世界中に呼びかける」やり方は、その後、無数の個人や団体によって今日に至るまで継承されているので、私は、日出づる国ならではの手法で位相を整え、世界に先駆けて見えざる次元に「場」を作る事を試みた。具体的には天真体道の極意型「天真一法」を用い、多次元的な「神秘の柱」に光を通すというやり方だ。

結局、私を含む13名でオンライン瞑想を共に行う事となったのだが、「13」は誕生日に明治神宮で引いたおみくじの数でもあるし、「13の月」&「創造の銀河の音」そのものでもある。心身をほぐす為の体操にも時間をかけたので、瞑想そのものに割いた時間は20分ほどだったが、それぞれ深い体験をされていた様子。以下に、その一部をシェアしてみたい。

”はじまる前あたりも、頭痛がして、瞑想しながらやはりふらふらした感じの中にいました。みなさんのすてきな笑顔にもお会いできて、うれしさを感じながら、そのまま横になり、眠りました。そして、今、元気です。”(瞑想後の眠りの中でとても興味深い夢を見た事も書き添えて下さっていた)

”対面の瞑想クラスもいつも本当に気持ち良くて最高だけど、大空の下、自然の中で参加したzoom天真体道&瞑想も、これまたサイコーに気持ちよかった。まさに五感瞑想だった。特に嗅覚が研ぎ澄まされた感じ。木、草、花、田んぼ、色んな香りがやってきた。地球って美しい!!!と、感じた。終わっても、あまりの気持ちよさに瞑想を続ける妹。”

”天真体道瞑想クラスに参加した後は、いつも肌がピチピチ艶々になる!こりゃ気のせいではないと最近実感!心も身体も爽快感溢れることにも感謝。そして、天真体道瞑想を通して13の月の暦を感じられることにも感謝です。”

瞑想中は私も瞑目していて、時間がどれくらい経ったのかは全く分からないのだが、全てを終えた所でスマホを手にして確認すると、終了予定時間ぴったりで、1分の狂いも無かった。瞑想中にも色々と体感はあったが、私にとっては12:60的な時間で見てもオンタイムだった所に特に喜びを感じた。それが多層的な時間の調和的収束を示しているように思えたからだ。

この一度きりのとても大切なミッションに参加して下さった皆さまに、この場をお借りしてお礼申上げる次第である。ひと息ついて、こよみ屋KOZOさん呼びかけの「Zoomでハーモニック・コンバージェンス33周年の集い」にジョイン。既に100名近くの方が参加しているようだった。

ちょうど、たかしっちさんが話し終えて、舞那さんが話し始めたタイミングだった。ほぼ一人10分でという事で、KOZOさんが事前に打診したメンバーが順番に話している模様。瀬戸内海の小豆島からタツさん(5・太陽)が太陽情報そのままの明るさに満ちたメッセージを伝えて下さった後で、私に順番が回って来た。そこで話した内容は大体以下のような感じだ。

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暦との出会いは1996年発刊の『時空のサーファー』で、使い始めて約2年で入門書『宇宙の暦は13ヵ月』を執筆。最初はムック本で、改定する度にKOZOさんにカバーイラストを描いてもらっていた。人々に暦を伝え続けて来た中で、大切なのは結局「暦の使用を通じて全く違うリアリティを体感してもらう事」であり、それには、さほど複雑な手続きは必要ないという事。

具体的には、この暦の背後にある世界観(ドリームスペル創世記等)を知り、その上で新しい日付を数え、気づきをメモし、体験を共有(発信)する。疑問も含めて、とにかく共有することで分かって来る事がある。自分の狭い了見で判断せず、とにかく他者の目に触れる場に出してみる事。これを、実際にその場やってみる事にした。

例えば、33年=26年+7年と書ける。7は13ある銀河の音の中心の数。1987.8.16「3・鷲」から13年後の2000年同日は「3・太陽」(たかしっちさん)、そこから更に13年後の2013年同日は「3・蛇」(ステファニー)。そして、その7年後が今日の「10・太陽」。

KIN140(10・太陽)はテレクトノンの数。「神秘の柱」の最後がKIN140であるだけでなく、「神秘の柱」の「銀河の音」の合計が140になるのだ。更にパレンケ「碑銘の神殿」頂上部の中央パネルには140(=10×14)の文字から成る碑文がある。

この比率の中ににテレクトノン、そして「13の月の暦」の鍵がある。10:14=5:7=20:28=260:364。3次元と4次元、見える世界と見せない世界を繋ぐこと、統合されていない内的体験、他者との関係、過去、未来などの様々な繋がりを「思い出す」事。そうしたプロセスを経て、本当の(宇宙的広がりのある)自分を「思い出す」。

目黒不動でホゼ&ロイディーン、パンジャパンのメンバーと瞑想した日からぴったり23年が今日。天照さまを祭る伊勢内宮、宇治橋前が終点の国道23号は全長241キロ。こういう数字遊びも含め、気づいたことはとりあえず口にしたり、書いてみたりすることで、体験は深まって行く。
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私の記憶はかなり怪しいものだが、ざっとこんな感じだったかと思う。その後も、皆さんの体験に基づいた興味深い話が続いたのだが、個人的に特に面白かったのは渡辺さんのお話で、おおよそ以下のような内容だったと思う。

暦を使い始めてシンクロニシティが当たり前になり、ある時期、もうオーラソーマだけで良いのではないか?と思って一時暦から離れていた時期があった。ところが、それとシンクロするように家にネズミが出るようになって、色々対策を講じても屋根裏を走り回る音が消えずに困っていた。

ある時、気づきがあって、もう一度暦を使ってみようと私のクラスに参加して下さったのだと言う。すると、その日からネズミはピタリと出なくなり、それ以降、一度も出る事はなかったらしい。つまり「13の月の暦」に回帰した事で、ネズミ退治が出来てしまったのだ。おそらく、渡辺さんがご自身に回帰するきっかけとして、暦がスイッチの役割を果たしたのだと思うが、そこに多少なりとも関われたのは嬉しい事である。

立場や使用歴の異なる多様なメンバーが、気ままに体験を共有しあう事で、自然と美しい流れが生み出されて行くプロセスは、まさに「Time is Art」そのものだったように思う。集いを呼びかけ全体をリードもして下さったKOZOさんに感謝したい。そしてその場で久しぶりに(あるいは初めて)お会いできた皆様にも感謝を。

高麗広公民館

今日は、伊勢内宮の五十鈴川上流にある高麗広公民館で、ホゼ自ら「自分史上最高の出来だった」と述べた講演会が行われた2004年3月30日(KIN141)から23銀河スピン(23×260)が経過した磁気の月23日。サイ時間はホゼの母、そして私の誕生キンでもあるKIN241。

また、KIN141(11・竜)は、ハーモニック・コンバージェンスと同じ1987年の2月23日(KIN141)に、超新星1987Aが初観測された日付で、それは今上天皇27歳の時の「運命の道筋」でもある。今から47銀河スピン(47×260)前の話だ。

長々と書いてきて、23年前の8/16(磁気の月22日)にも、23銀河スピン前のKIN141にも、私はホゼに直接会っていた事に気付かされた。伊勢内宮に至る国道が23号(総延長241.6km)で、磁気の月23日のサイ時間がKIN241、そして今上天皇のG歴誕生日も23日であることも「思い出し」て、この記録を終えることにしよう。(D)

磁気の月23日  11・竜(KIN141)ハーモニック・コンバージェンス33周年に