伊勢神宮のキーナンバー125とチャクラの誕生キン

今日、KIN257(10・地球)は、私が剣武天真流を学び始めた2009.7.19から、260日暦がぴったり13回巡った日だった。当時は知らなかったが、7/19は山岡鉄舟の命日で、剣武稽古開始日は没後121年に当たっていた。大学での指導教官が、一九会という鉄舟ゆかりの会に関わられていたのを知ったのも卒業後の話。

新刊『天地人々ワレ一体』に鉄舟の言葉を引用させてもらったのは、そういう背景とは関係なく、あくまで剣武と通じるものがあったからだが、何かと鉄舟に縁を感じ、影響を受けているのは確かである。その新刊の出版記念イベントが、昨日(KIN256)大阪のカフェ「チャクラ」で行われた。

快晴の青空に映える富士山は、のぞみ201号の車窓からのもの。KIN201は12才、KIN256は15才、サイ時間のKIN51は18才と、この日に関する数字が自分の「運命の道筋」を3年ごと刻んでいる事に気付いたのは、その前夜(KIN255)、神楽坂セイギーヒーで行ったワークで「運命の道筋」に注目していたからかもしれない。

10/20(KIN255)の朝、宮内庁のサイトをFBでシェアしている友人がいて、この日、美智子皇后が84歳になられた事に気付いた。「皇后陛下お誕生日に際し(平成30年)」というその記事には、1日の行事予定も細かく記されていて、お昼や夜の時間帯はご家族が揃う機会にもなっている事が伺い知れた。

だからこそ、セイギーヒーのワークにKIN125(8・蛇)のSさんが参加されたのは、驚きだった。何故なら、昨年、神宮祭主に就任された黒田清子さんはKIN125(5×5×5)で、ちょうどワークが始まった時間帯に、天皇皇后両陛下と御所で会われている事を、先の記事で知っていたからだ。

125代天皇(平成)の時代に、伊勢の神宮125社を統べる祭主に就任されたのがKIN125の清子さん、という時点で十分強烈なシンクロだが、『シンクロニック・ジャーニー』に書いた通り、私たちの本籍地は伊勢内宮の住所にしてあるし、ホゼと共に「銀河の第5の力」の現れとも言える『ドリームスペル』を奉納してもいるので、特にインパクトが強い(確認のためにその本を手にしたら、あとがきはKIN166=皇太子様の誕生キンに記していた)。

当初、大阪での出版記念イベントは、『天地人々ワレ一体』発刊日(奥付による)の9/30(KIN235)に予定していたが、台風24号日本縦断を受けて、10/21(KIN256)に変更させて頂いたのだった。大雪でも台風でも、イベントを中止、変更したことが無かった私が、延期を決定したのは、多分、今回が初めてではなかったかと思う。

実際、9/30は夜8時以降新幹線も完全に止まってしまったし、誰でも同じ判断をしたと思うが、10/10(KIN245)にチャクラが16周年を迎えたというのを後で知って、腑に落ちるところがあった。何故なら、KIN245は新刊の主人公である青木先生の誕生キンで、10/10からチャクラの「運命の道筋」が青木先生とシンクロする流れになったからだ。

9/30の時点では、チャクラの「運命の道筋」は、まだKIN140だったのだ。それにしても「16年間のテレクトノン」の別名を持つ『時間の法則の20の銘板』の数え方で、KIN16に対応する月(電気の月)に16周年を迎えるとは、流石に暦と瞑想のクラスを長年させて頂いている縁あるカフェは違う。時に適っている。

せっかく、天真体道についての本の出版記念イベントをするなら、チャクラという「場」そのものが青木先生と同期するKIN245になっている方が相応しいに決まっている。創始者のエネルギーがお店と同期していれば、そこで伝わる情報の質も濃くなると言うもの(この同期状態は1年続くのでチャクラでワークする機会が増えるかもしれない)。

ホゼの手描き原稿のコピー

だが、驚きはまだ続いた。暦クラスの中で「運命の道筋」について触れた時、改めてチャクラの誕生キンを調べてみると、何とKIN125(2002.10.10)である事が分かったのだ!これまで何年も通っていながら、チャクラの誕生日がG10/10である事も、2002年に開店した事も認識しておらず、昨日の今日でKIN125と判明する驚き。

そういう場に居合わせる参加者の皆さんも、当然シンクロ率が高いので、太陽暦誕生日がチャクラの5日後、つまり10/15の方が二人いて、そうとは知らずに並んで座ってしまうというような事が自然に起こる。「運命の道筋」がKIN250になったばかりの方が二人並んでいるという時空からのアピールを受けて、直近のKIN250(G1/28)のメモを見ると、そこにも発見があった。

私が一番最近UPしたブログ記事は剣武天真流本部正師範の吉田倫子さんについて書いたものだったが、そのKIN250のメモにも、剣武の稽古で倫子さんに関するメモがあったのだ。内容は「目が(パラマハンサ)ヨガナンダみたいにキラキラになっていた」というもの。

実は、この日、チャクラに到着するまでに「パラマハンサ・○○」というヨギに関する情報を、誰かがFBでシェアしているのを目にしていたので、私の中では自然とヨガナンダが思い出されていたのだ。それだけに、このKIN250からのスユア(時空の記憶回路)で、ヨガナンダというメモが出て来た事は、私自身にとって大きな驚きであった。

しかも、道筋KIN250の二人のうちお一人は、最近まで帯広にいらしたとのことで、3日後に伺う帯広のルミ・カペさんとも繋がっている事が判明。それでさらにスユアが活性化されたのか、私は突如、ある事を思い出したのだった。それは、帯広の主催者であるTさんが、パラマハンサ・ヨガナンダの師であるスリ・ユクテスワに強い関心を持たれていたという事だ。

「蔵」を改築したカフェ「チャクラ」に蔵されている「蔵」(小原天迅作)

忘れっぽい私が覚えていて、記憶力の良いLがまるで覚えていないというのも不思議だが、私はこの件に関しては明瞭な記憶がある。おそらく、KIN250からヨガナンダに接続したことも、その事と無関係ではないと思う。

帰路、指定を取ろうと券売機で19:00代の列車を選択すると一番下に「のぞみ254号」と出たが、気になって次の時間帯にまで進めると、何と「のぞみ186号」が表示された。KIN186の道筋を歩んでいる私は(同時にそれは『銀河のマヤ』の誕生キンでもある)、迷わずその列車を選んで列だけ指定。出てきた指定券は12号車16だった。

これを「水晶の月16日」と置き換えると、この日、一番沢山質問をして下さったYさん(KIN127=今日の反対のパートナー)の誕生キンで、その2日後のKIN129は、前々回のセイギーヒーでのワークで、KIN125のSさんが初めて参加して下さった日だった(もちろん手帳のメモを参照して分かった事だ)。

のぞみ186号に乗り込んでからLがアップしてくれていたブログ「ルネサンスの都へ(2)」(2年前に自分が書いたメルマガ記事の再掲)に目を通すと、何とそこには、KIN254にイタリアに向けて出発したことと、ダ・ヴィンチがKIN186で、自分が2年後にその道筋を歩むことが書かれていた。

そういう周期性を意識してLが再掲してくれたものだと分かっていても、のぞみの254号や186号までは用意できないので、やはりこの日は、この時間帯で日帰りするという選択で良かったのだと思える(普段は一泊して寄り道するのだが)。いちいち納得するための材料を探している訳ではないが、選択した事に納得感があるかどうかは意外と重要である。

自己肯定感はそういうものの積み重ねに影響を受けるし、思いやりとか落ち着きは、自己肯定感とも強い相関性があるからだ。物事が想い通りに進まないと「自分の選択は間違っていたのではないか?」と考えたくなるものだが、無意識レベルに蓄積するシンクロ統合体験には、そういう思いを生じさせない力、全て良し!とする働きがある。

今日、このブログを書いたのも、完璧なタイミングだった事がわかったので、それを最後に記して終わりにしたい。Lが「もしかして、16年前の今頃、グラーツでカーラチャクラ灌頂を受けたのでは?」というので、『シンクロニック・ジャーニー』を調べてみた。

すると、まさに16年前の今日10/22(KIN137)が、カーラチャクラ全プログラムの最終日で、前日の満月に完成し、拝観したカーラチャクラ砂曼荼羅が破壇されて、ダライ・ラマ法王によって街の中心部を流れるムーア川に流された日であった。

つまり、大阪に”チャクラ”が誕生したのと、私達がカーラ”チャクラ”灌頂を受けたのとは、ほとんど同じタイミングだったという事が、今、このブログを書いていて判明したのだった!

剣武稽古開始「13」銀河スピン、カーラチャクラ灌頂完了「16」年が重なる日が今日だったのだ!私が制作世話人を勤めさせて頂いた『時間の法則の20の銘板』が、13ヶ月×16年=208キンのマーリンの階段を登るプログラムだった事も、ここに集約されているような気がしてならない。

なぜなら、その208キンが完了した2013年こそが『ドリームスペル』が目標点と定めた「銀河の同期」ポイントであり、62回目の伊勢式年遷宮が行われた年だったからだ。そして「シンクロニック・ジャーニー」は、これら全ての体験を統合し、包含しながら、再び帯広へと続いて行くのである。(D)

自己存在の月5日 10・地球(KIN257)

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