マヤ暦「反対キン」の起源とパカル王(KIN60)

今日KIN60(8・太陽)は、有名なマヤ遺跡パレンケの「碑銘(碑文)の神殿」に眠っていたパカル王が生まれた日付。といっても、石棺に刻まれていた「8アハウ」を、『ドリームスペル(13の月の暦)』(*)風に言い換えただけで、実際に『ドリームスペル(13の月の暦)』での誕生キンを調べると、パカル王は全く別なKINになる。

少々わかりにくい話だが、【「13の月の暦」アプリ】という記事にも書いた通り、長期暦とも連動する古代マヤの260日暦(ツォルキン)と、『13の月の暦』のツォルキンとは、全く別な日付をカウントしているという事だ。

では、『13の月の暦』でのパカル王の誕生KINは何になるのだろうか?答えはKIN190(8・犬)。奇しくも、古代マヤのツォルキンでの誕生日であるKIN60(古代にこういう表記は見られないが)から最も(=130キン)離れた「反対のパートナー」という特別な関係になっている。

この驚くべき発見についての経緯は『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』に詳しく書いてあるので詳細は省くが、今回は以下の2点について注目してみたい。
(1)仕組みとしては同じ260日暦でも、異なるツォルキンで調べると誕生日も全く違ったものになる
(2)「反対キン」と「反対のパートナー」について

まず(1)についてだが、もし「運命」というものを真剣に考えるのであれば、全く異なる日付を数えている2つのツォルキン情報をミックスして「運命を読み解く」という行為は、全く意味をなさなくなる。しかし、日本で広まっている偽マヤ暦では、まさにそれをやっているのである。

次に(2)についてだが、「反対キン」という言葉は、『ドリームスペル(13の月の暦)』(*)にその起源を持つ用語で、1990年より前には存在していない言葉と概念である。ちなみに、「絶対反対キン」という用語は「反対のパートーナー」の概念をパクって呼び方を変えただけのもので、本来のものには存在しない。

また、占いや鑑定をする人が、中心に「運命キン」を置き、右に「類似キン」、左に「反対キン」、下に「神秘キン」、上に「ガイドキン」というように配列する事があるが、これ自体が完全に『ドリームスペル(13の月の暦)』のオリジナルで、古代マヤ暦にも、現代のマヤ・シャーマンが使う暦にも存在しないものなのだ。

証拠として「反対キン」と「反対のパートナー」の説明部分を『ドリームスペル』日本語版第2刷のマニュアルから引用して、以下に添付しておく。もし古代マヤに由来するものなら、遺跡や絵文書の証拠があるはずだが、そんなものは当然存在しない。

最後に、『ドリームスペル』の「お告げ盤(オラクルボード)」にある、今日のオラクルを添付しておこう。ここにあるマヤ数字は、「銀河の音」ではなく「太陽の紋章」の紋章コード番号を示している。こよみ屋さんの『13の月の暦・手帳』では、初心者にむけて親切にも「太陽の紋章」が記されているが、原盤ではこのようになっているのである。

尚、この起源シリーズは、事実を認識してもらうために整理しているものなので、実際に『ドリームスペル(13の月の暦)』本来の使い方を知りたい方は、私が行っているクラスや、これまで示して来た情報を参考に、本来的な情報を伝えていると思える人に学ぶなり、話を聞くなりする事をお薦めしたい。

(*)『ドリームスペル』はその後、アグエイアス夫妻が「13の月の暦に替える平和の運動」として世界を巡る時に『13の月の暦』とも呼ばれるようになった。つまり、この2つは実質的に同じものである。尚、偽情報によって勘違いしている人があまりにも多いので、なるべくそういう人たちの目に触れるよう、あえてマヤ暦「反対キン」という間違ったタイトルにしてある事をお断りしておく。