「原因探し」は「問題解決」に繋がるのか?

中国の傀儡事務局長が仕切るWHOによって「COVID-19」と命名されたウイルス性呼吸器疾患は、「SARS-CoV-2」という新型のコロナウイルスによって引き起こされるとされている。

初期段階で中国共産党が悪質な隠蔽工作をしたことで、パンデミックに至った事実を忘れないためにも、私は「武漢ウイルス」か「武漢肺炎」と呼ぶのがフェアだと思うが、今回の主題はそこではないので、これ以上はつっ込まないでおこう。

さて、上記の通り、一般に病気の原因は、ウイルス、細菌、毒物などに求められ、それらに対する科学的分析から対処法が編み出される。実際にそうした手続きによって状況が落ち着く事が多いので、原因が特定できさえすれば、いずれ問題は解決すると信じている人は多い。

しかし、起こっていることを注意深く見れば、ウイルスが地球上から殲滅された訳ではなく、体内や自然環境の中で、ある程度の平衡状態を保って落ち着いた状態になっただけである。

そもそも、原因の特定と治療法の確立はイコールではないし、諸条件が一定ではない自然界での相互作用全てを計算に組み込む事も事実上不可能である。また、投薬を含む多くの治療法は、対症療法であって、根本的治療法と呼べるものは非常に限られている。つまり、見かけ上の安定状態に導くだけで、根治と言えるかどうかは別なのだ。

にも関わらず、人が「原因」を求めるのは、何よりも「未知」を恐れていて、仮のものでも良いから「原因らしきもの」を特定して「安心したいから」であろう。上記の通り「原因」が分かれば、いずれは対処法も見つかるだろうという連想が働いて、「希望」も抱ける。

しかし、「原因」が分かったとして、もしそれで問題が実際に解決しないのなら、その原因の特定に意味はあるのだろうか?そして、それは本当に「原因」なのだろうか?

一方、鍼灸や漢方、アーユルヴェーダなどを含む伝統療法や代替療法には、それぞれ独自の身体観があり、原因に対する考え方も現代医学とは異なるが、やはりそれぞれの観点から病気の原因を特定して、それに対処する。もし、その手続きで何も解決しないのであれば、そのような手法はとうの昔に廃れているはずだ。

とすると、そこには「何かがある」という事になる。実際、どんな療法であれ、利用者にとって重要なのは効果があるかどうかであって、(現時点での科学による)科学的エビデンス云々は、あまり関係が無いのである。

もちろん、伝統療法や代替療法だからといって、病気や不調が根治するかどうかは別の話だ。どんな手法でも、やっている事は、ある種の平衡状態へと導くことで、その持続力や安定度が高いか低いかというだけの話なのかもしれない。

ところで、今回、何故このような事を書いておきたくなったかと言うと、私が携わっているウォーターセラピーの現場で、「原因の探求」に執着するケースをしばしば見て来て、最近もそういう事例があったからなのだ。私自身、江本先生のもとで学んでいた頃は、特定の「感情」などの「原因」を突き止めて、それに対処するという発想で取り組んでいた所があった。

しかし、現場で起こる様々な改善事例について長期的に観察をしていると、何がきっかけで解決したのか、ぼんやりとしか分からないケースの方が多いことに気付かされたのである。また、「原因」がつかめたと思っても、結果が芳しくない事などもあったりして、私は次第に「原因」と「結果」に対する関係性に疑問を抱くようになって行ったのだ。

そこから、測定で反応するのは「原因」ではなく、「解決のためのポイント」として、心身が応答してくれたものなのだと理解するようになって行った。この辺りの事は、明快な因果がある「水平時間」と、因果が一体化している「垂直時間」という精神宇宙モデルとも関係するので、関心のある方は『霊性のアート』を参照していただければと思う。

副鼻腔炎でずっと詰まっていた鼻が通る】という事例では、「副鼻腔炎がデトックスとして起きている」と思い込む事が、かえってその症状を持続させていたのかもしれない、という可能性について記してある。他によくあるのが、「幼少時のトラウマ」とか「前世の因縁」に原因を求めるケースだ。

ヒプノセラピーや前世療法についても、それなりの関心を持って探求した事がある私は、そういった原因を認めない訳ではない。むしろ、「影響はある」という立場である。しかし、何でもかんでも前世やトラウマに結びつけて考え、現在の生活習慣や食習慣には全く無頓着というような人を見ると、「それは違うだろう」とも思うのだ。

それに、前世に原因を求める人の多くは、その前とか、その前の前がどうなっていたかについては、あまり考えていないケースが多い(少なくとも私が出会った人たちはそうだった)。これは、「添加物」とか「電磁波」とかの物質的要因に執着する人にも見られる傾向で、他の要因や、時間的にそれ以前に始まっている何かについては、殆ど考慮していなかったりするのである。

結局、「原因探し」が好きな人は、それを言ってもらうことで落ち着きたいだけなのだ。だからこそ、「原因」が分かった気になってさえいれば、実際には状況が殆ど改善していなくても、不思議とそれなりに気分は落ち着いていられるのである。

最後に、現時点での私の見解を記しておこう。ウォーターセラピーでの反応ポイントが感情面であろうと肉体面であろうと、そこを刺激する手続きを踏む(転写水を飲む)と「解決のためのスイッチが入る」、というのが起きている現象を最も正確に描写する表現だと考えている。あとは生命システムが包括的調整を自律的に行っており、どのようなプロセスで解決に至るのか、その全容を知る事は出来ないとも考えている。

だが、これはより良い解決法の探求を放棄しているという意味ではない。現場での体験をふまえた身体観、世界観の維新、測定手法の研究などを通じて、より効果的なやり方が無いかを探求し続けているのは、言うまでもない。従って、20年前から同じ機器を使ってはいるが、そこで行われている事は、以前とは比べものにならないほど質的に進んだ事なのである。(D)

太陽の月21日 11・鏡(KIN258)

人気ブログランキングへ
気に入っていただけたら↑をポチッとクリックしてください♪

ウォーターセラピーの現場から
ウォーターセラピー
天真体道瞑想クラス
【モーニング・クラス 10:00~11:00】
3/31(火)
【イブニング・クラス 18:00〜19:00】
3/28(土)上野毛