天皇とリンポチェを結ぶ126と166

令和元年もあっという間に年の瀬を迎え、残すところ1日となりました。皆さまにとって、この1年はどんな年だったでしょうか?

私にとっては、史上最も早く過ぎ去った1年という印象でしたが、ここ10日程の間にも色々と劇的な発見や体験があって、年を越さない内に何とかそれをまとめておきたいので、一年の振り返りではなく、冬至以降に絞った振り返りをしてみたいと思います。

冬至をはさむ3日間、私達は高尾山の近くに通っていました。理由があって詳しくは書けませんが、ある教えを受けていたのです。その教えはもちろん大変素晴らしいものでしたが、タイミングも素晴らしかったので、以下に3日間の情報を書いてみます。

12/21(KIN162)律動の「魔術の亀の日」
12/22(KIN163)冬至
12/23(KIN164)2013.7.26「銀河の同期」から9銀河スピン

陰極まって陽となる冬至を挟んで、お天気も雨から雪、そして快晴へと変化して行き、何ともリフレッシュされた気分になりました。自宅近くでは雪には成りませんでしたが、高尾の辺りではKIN164の未明から朝方にかけて降ったようで、うっすらと雪化粧をした美しい風景を目にする事ができました。

会場では、私の現在の道筋とシンクロするKIN31(5・猿)の方をはじめ、縁ある方との再会や新しい出会いもあって、充実した3日間となりました。会場の最寄駅は高尾で、そのすぐ側に123代大正天皇の多摩陵、124代昭和天皇の武蔵野陵があるのに気づいたのは、2日目の冬至になってからでした。

奇しくも、3日目は第125代天皇(現上皇陛下)の誕生日で、3日間教えを授けて下さっていたのは、第126代今上陛下と数字でシンクロするKIN126の方でした。この時間と空間をつなぐ数字の流れには、より大きな流れも関わっていたので、その事にも少し触れておきましょう。

お伊勢参り/内宮奉幣の儀】にある通り、12/17(KIN158)にLは伊勢にお参りをしていて(伊勢の神宮は全部で125社)、思いがけず神宮祭主の黒田清子さん(KIN125)に出会えただけでなく、清子さんを含む「9人」の神職が「麻」を頭に巻いて儀式に向かう姿を目にしていました。

緋色の袴が祭主の黒田清子さん。

その6日後が第125代天皇の誕生日であっただけでなく、「銀河の同期」から9銀河スピンのタイミングに当たっていた事は、私に、パレンケ「碑銘の神殿」(中央階段は69段)の墓室を見守っていた「9人の時間の主」や『テレクトノン』との関係を想起させました。

「銀河の同期」9銀河スピンに特別な祈りを唱えて下さった方がKIN126であった事も、その想起を強化しました。なぜなら、『パカル・ヴォタンのテレクトノン、預言を語る石』という小冊子は、126節から成る聖なる書物で、KIN126は「9・世界の橋渡し」でもあるからです。

Lは伊勢参拝の翌日12/18(KIN159)、二子玉川で重陽(G9/9)に「四重の虹」を目にした日から6銀河スピンというタイミングに、橿原神宮と神武天皇陵を参拝していたので、12/17(KIN158)〜12/23(KIN164)の1週間の中で、皇祖である天照大神、初代神武天皇、123代大正天皇、124代昭和天皇の陵にお参りし、最終日の銀河の同期9スピンに125代天皇の誕生日を祝うという体験をした事になるのです。

話はまだ続きます。125代天皇の誕生日(12/23)から2日後のクリスマスはKIN166(10・世界の橋渡し)で、126代今上天皇の84回目の銀河の誕生日に当たっていました。125代天皇の365日暦誕生日と126代天皇の260日暦誕生日がこのように接近するのは52年に一度の事。

そんな日に、素晴らしいクリスマスプレゼントが私達のもとに届いたのです。それは物質的なプレゼントではなく、ある情報でした。Lがフォローしているシェチェン寺のインスタグラムを通じて、その日がシェチェン・ラブジャム・リンポチェの52歳の誕生日だと分かったのです!

つまり、『シンクロニック・ジャーニー』にクリ坊というあだ名と共に登場いただいているシェチェン・リンポチェは、今上天皇と同じKIN166が誕生キンであるだけでなく、この日がカレンダー・ラウンドに当たっていた事にもなります。ちなみに、リンポチェの祖父は、ダライ・ラマ法王14世(KIN14)や前ブータン国王の師でもあったディルゴ・ケンツェ・リンポチェ(以降DKR)というお方。存命中にお目にかかった事はないものの、何かご縁があるようで、この一連の出会いにも深く関与しているのを感じます。

シェチェン・リンポチェと初めて出会ったのは、2002年にオーストリア・グラーツで行われたダライ・ラマ法王14世による27回目のカーラチャクラでの事。灌頂の最終日はKIN136の満月でしたが、今年の12/25は肥田春充(4・世界の橋渡し)の生誕136周年にも当たっていたので、シェチェン・リンポチェとは、春充を通じた回路でも繋がっているようです。

それにしても、今上天皇と銀河の誕生日(KIN166)が同じで、肥田春充と太陽暦誕生日(12/25=律動の月13日)が同じだった事が、今のタイミングで分かるのが驚きです。何しろ、私達がNPOクリカの活動で毎年訪れるカトマンズでの滞在先は、そのシェチェン・リンポチェの名が付されたシェチェン寺のすぐお隣のゲストハウス。なので、毎年シェチェン寺にはお参りしているのです(トップ画像は先月参拝した時のもの)。

そして、14番目のウェイブスペルが始まったKIN170(12/29)、Lが大掃除をしていて、普段開けない宝箱を開封したら、思いがけないお宝が出て来たのでした。綺麗なお数珠もその一つでしたが、私にとっては、「2008 クリ坊、DKR転生者、KIN14」と書かれたビニール袋に入っていた白いカタ(儀礼用のスカーフ)こそが、最高のお宝に思えました。

なぜなら、KIN14(1・魔法使い)はダライ・ラマ法王の誕生キンで、同時に今年一年「白い磁気の魔法使いの年」全体を示す日付でもあるからです。そして、2008年のKIN14とは、2008年11月18日(KIN14)の事で、その日、シェチェン寺でDKRの転生者であるケンツェ・ヤンシ・リンポチェから加持を受けた時の記念のカタだと分かったのです。

11年前の写真を見直すと、更に面白い事がわかりました。その11月18日(KIN14)には、シェチェン寺の前で、シェチェン・リンポチェとゾンサル・ケンツェ・リポチェの事を見かけていて、その様子を写真に収めていました。ゾンサル・ケンツェ・リンポチェはKIN126で、その祖父はニンマ派の高名な僧ドゥジュム・リンポチェ。シェチェン・リンポチェはKIN166で、祖父はDKR。

中沢新一氏の『知恵の遥かな頂』の巻頭写真に並んで写っている二人の偉大なリンポチェの孫同士、そして、同時にそれぞれの祖父の師匠の転生者でもあるという不思議な背景を持つ二人が並んで立っている所に居合わせられたのが、KIN14だったのですから、これはダライ・ラマ法王のご縁とも言える訳です。その時空が「白い磁気の魔法使い(KIN14)の年」に接続してきたのですから、まったくもってスユア(時空の記憶回路)の働きは驚きに満ちています。

それにしても、深い親しみを感じる二人のリンポチェ、ゾンサル・ケンツェ・リンポチェがKIN126(9・世界の橋渡し)で、シェチェン・リンポチェがKIN166(10・世界の橋渡し)というのも驚きです。二人合わせると、126代今上天皇(KIN166)になってしまう訳ですし、それぞれの祖父と中沢新一氏が交流していた訳ですから、きっと日本とも縁が深いのでしょう。

このお宝発見をきっかけに、2008年にカトマンズを訪れた時の写真を見直してみると、前日の11/17(KIN13)には、そのシェチェン寺でシェチェン・リンポチェに『シンクロニック・ジャーニー』を手渡していて、その時にかけて頂いたカタも宝箱に入っていたので、袋にクリ坊と書いてあった事が分かりました。

さらにその前日の11/16(KIN12)には、シェチェン寺の守り人のようなお爺さんに招かれて、お堂の中にある故ディルゴ・ケンツェ・リンポチェの居室に入れてもらい、頭蓋骨が入っているという箱を見せてもらってもいました。今思うと、連日、もの凄い体験をしていたものだと驚きますが、当時は、そこにDKRの居室があるなどとは思ってもいませんでしたし、未だに、何であの時、建物の中に招き入れてくれたのかも分かりません(その後も毎年訪れていますが一度も声をかけられた事はありません)。

しかし、順番を考えると、DKRの居室に招かれた次の日にシェチェン・リンポチェと運良く出会え、その次の日に、これまたブラりと散歩に行ったタイミングで、ケンツェ・ヤンシ・リンポチェ(DKRの転生者)の加持の時間に居合わせ、ゾンサル・ケンツェ・リンポチェにも会えてしまっているのですから、やはりDKRに導かれていると考えるのが自然なように思えます。『シンクロニック・ジャーニー』に書いた通り、そもそもその導きはグラーツの時から始まっていたのです。

DKRの居室 左奥に頭蓋骨を納めた箱がある

さて、既に随分と長くなってしまいましたが、12/30(KIN171)のメモまでして、この振り返りを終えたいと思います。KIN171は、私達の結婚記念キンで、昨日で22銀河スピン記念でした。KIN171は、【新春初夢コラボ〜 笑顔はじける「虹の身体」への道〜】でご一緒する箱寺さんの誕生キンでもあり、律動の月18日は、毎月の自分の誕生日でもありました。

夕方、図書室のように使わせてもらっているツタヤ家電に行って、剣武天真流の道友で拓殖大学の教授でもある竹下正哲さんの新著『日本を救う未来の農業』を、深い感動を持って読み終えました。タイトルの通り農業に関する本ですが、私は色々な意味で激しいインパクトと刺激を受けました。野菜や穀物に関心のある方、つまり日本国民全員が読んだ方が良いと思えるような本でした。現状を知り、その上で、何をしたら良いのかのヒントが詰まっています。

終盤に、実験地として拓殖大学国際学部が出てきたので、確か八王子方面だった気がすると思って場所を確認してみたら、何と、最寄駅は高尾でした!1週間前に3日間通った駅です。そして、そのお陰でもう一つ発見がありました。通った場所の近くにあった学校の名前が、聖パウロ学園だった事を思い出したのです。

高尾に通ったおよそ1週間前に、私は来年の剣武国際合宿が行われるサンパウロまでのフライトチケットを入手していました。しかし、今日の今日まで「サンパウロ=聖パウロ」とは、気づいていなかったのです。ちなみに、その学校の住所は八王子市下恩方町2727で、シェチェン・リンポチェと出会った27回目のカーラチャクラとも繋がっていました。

そして、今、『時間の法則の20の銘板』の見方では、「白い磁気の魔法使いの年」の初日KIN14を含む「磁気の月」全体が、KIN27に対応していたことも突然思い出しました。

大正天皇、昭和天皇の陵が、高尾駅のすぐ近くにある事を知ったのが「冬至」だったことも含め、何かを知るのに相応しい時期というものが、確かにあるのでしょう。チベットのテルマ(埋蔵経典)とテルトン(埋蔵経典発掘者)という伝統は、そういう普遍的な性質を形にしたものだと思えます。

ここ10日ばかりの振り返りが、こんなに長大になるとは思っていませんでしたが、ある出来事を窓口にして、様々な時空に接続してしまうのが『13の月の暦』の特徴の一つです。この楽しみと驚きを、新しい年には、もっと多くの方に体感して頂きたいと思っています。

それでは、みなさま、よいお年をお迎えください。(D)

律動の月19日 3・人(KIN172)

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