カーラチャクラ2006 アマラヴァティ体験記(後編)

カーラチャクラ アマラヴァティ2006 〜カーラチャクラ伝説の旅/後編(by D)

■現地到着の翌日、Sのお陰でプレスパスも無事に受け取り、早速会場へ。プレス用の席は本堂の真横にあり、ダライ・ラマ法王をはじめ、日本語同時通訳をされる マリアさん、さらにゲシェ・ダワのお姿も見られて、2年前のダラムサラ・ツアーを思い出す(※3)。後日、TCVのジェッン・ペマ校長(この4月に世界子 供大賞を受賞!)や日本代表部事務所のチョペ氏もお見かけするなど、お世話になった方々が大集合している印象を受ける。

日中の強烈な日差しは、会場全体を覆う日よけテントを突き抜ける程の暑さをもたらすのに対し、夜は急激に冷え込むので、朝になると辺り一面濃い霧に包まれてしまう。快適で 楽な旅をしている私達が、二人して倒れた(多分日射病)位だから、極寒のチベット本土から大変な苦労をして参加したチベタンには、過酷としか言いようの無 い環境だったはずだ。実際、暑さで命を落とした人もいたらしく、途中からプログラムは午前中に終わるよう変更された。

会場では、連日早朝 からお経が唱えられ、砂マンダラの制作も進められているのだが、日中の主なプログラムとしては、灌頂の前に3日間、前行というものが行なわれる。法王は常 々、灌頂そのものより前行で動機を正しくすることの方が大切であると説かれているが、今回は、そのテーマとして、当地とも関係が深いナーガルジュナの「中 論」を取り上げられ、法王自ら詳細な解説を加えて下さった。

「中論」は、チベット仏教(特にツォンカパに始まるゲルク派では)の中核を成 す教えのひとつでもあるから、この前行は、現代においてこれ以上無い位の条件が揃った特別な機会のように思えた。法王のご経験から、中論は「26章→18 章→24章」と学んでいくのが良いでしょうとの事。各章の数字の差が「8」「6」となる所から、法王が、カーラチャクラ86代目の教えの保持者である事を 思い浮かべたり、それぞれをKIN番号に置き換えて情報を読み取ったりすると、色々見えてきて面白かったが、ここで深みに入るのはやめておこう。

前行3日目、「ナーガルジュナが中論で言いたかった事は、24章の19、20偈に示されている」という法王の見解が述べられた後、「熱望の菩提心の儀式」が 執り行われて、予定されていたプログラムはひとまず完了。後日知った事だが、この日、法王は、1/7に93歳で逝去したハインリヒ・ハラー氏(「セブン・ イヤーズ・イン・チベット」の著者)に追悼メッセージを送られたとの事(※4)。ハラー氏とチベットとの深い繋がりを象徴するかのような、特別なタイミン グでの出来事だったが、法王とハラー氏が再会を果たした2002年グラーツでのカーラ・チャクラにも参加していた私達にとっては、なおさら感慨深いものが あった。

しかし、現地ではそんな情報を耳にする以前に、二人して頭痛と熱と腹痛が最高潮に達してダウン。Lなどは気を失って、本当にぶっ 倒れてしまった程だった。翌日はティーチングがお休みで、会場では僧侶による供養の踊りなどが行われていたが、私達は丸一日テントに引きこもって休んでい た。後から到着したKIKU仲間とも既に合流しており、マリアさんを交えて食事に行こうという話もあったが、残念ながら全てパス。もともとこの会期中は半断食にしようとか言っていたのが、強制的に断食状態に導かれてしまったようだ。それに引き換え、隣のテントの二人はタフで、怪しい食堂で何か食べても全く 問題ないというから驚く他ない。

ところで、私達のテント村は、割と静かな場所にあったため、特に体調不良時には随分と助けられたが、毎朝 5時頃になると、大音量で「ハ〜レ〜ル〜ヤ〜」と、まるでジャイアンが歌っているかのようなものすごいオンチな(といってもいつも同じなのでそういう旋律 なのだろう)賛美歌が始まって起こされてしまうのには参った。とはいえ、目の前にある青空教会の方がもともと先にあって、テント村がそういう場所に作られ たのだから仕方がない。

アマラヴァティは小さな街ながら、モスクもヒンズー寺院もあって、人々はそれぞれの信じる宗教を大切にしているの が感じられる。朝方、家々の軒先は綺麗に掃き清められ、門の前には、チョークで幾何学的な図形が描かれる(多分ヒンズーの魔除)。これが、この街の一日の始まり方なのだ。

■1/12、ダライラマ法王14世の銀河の誕生日(99銀河スピン)であるKIN14とシンクロする形で、いよいよカーラチャクラ準備灌頂が始まった(しかも昨日から1/14までの調波4の二相コドンも14!←マニア向け)。それに先立ち、シャーンティデーバ(寂天)の 『入菩薩行論』に基き、法王が菩薩戒の伝授を行なって下さった。戒とは程遠い生活をしている私ではあるが、「完璧な場所で完璧な形で執り行われたので、習気(潜在力)にも良い影響を与えるでしょう」という法王のお言葉には、おおいに救われた。

夕方、テントに興味深い訪問者が2組訪れた。最初はスピティ(ヒマラヤの奥深くにある谷)の僧侶達。お寺の修復のための寄付を募りに来たとの事。実際、僧侶の中にも色々な輩がいるが、この人達の立ち居振る舞いや、やりとりの手順は、十分信頼に足るものだったので、ささやかではあるが、同行した4人で寄付をさせて頂いた。しばらくすると、今度は裕福そうなインド人ファミリーがにこやかに近付いてきた。一家の長と見られるおじさんが、やたらと「シャボン」という言葉を連発するので、聞くとテルグ語で「Happy」の意味だとの事。彼らは南インドから来たらしいが、彼の地でも斉藤一人さんの理論(ツイてる人はいつも笑顔でよい言葉を使う)は通じるようだ。2,3ハッピーな会話を交わし、笑顔で立ち去って行った。

1/13、この日の朝方見る夢は、夢解釈されるのだが、Lが「虹だらけ」の夢を見たのに対し、私は、細い道をバックで猛スピードで走るなど(ただし車にひとつも傷はつかない)「逆」がテーマの夢を連続して見た。結局、どんな夢を見ても執着しない事が大切なのだが、自分の記憶を補う意味もあってここにメモさせてもらった次第。久しぶりに2人揃って元気な状態で会場へ。灌頂の儀式は次々と進むので、殆ど見よう見まねで追いかけるばかりだったが、今回も石濱さんが訳された「ダライ・ラマの密教入門」には随分助けられた(もちろん、マリアさんの同時通訳にも)。持参した「図説・曼荼羅大全」という本のP16に、J・アーギュエルという名前を見つけ、これがホゼの事である事を再確認。面白い場所とタイミングで出会うものだ。

「あらゆる方角から仏が降臨する」場面では、しばし涼しい風が吹き渡り、本当に聖なる存在が舞い降りてきているような気がした。灼熱の直射日光を遮る霧や涼をもたらす風も、菩薩たちの慈悲なのかもしれない。灌頂が始まってからの数日間の様子を観ていると、そう思える場面が何度もあった。夕方行った博物館では、アマラヴァティ大塔の模型や、実際のレリーフが展示されていて、その頃のインドが、エジプトやアラビアの影響も受けていた可能性を肌で感じることができた。

1/14、朝方3:30に自然と目が覚めて、濃い霧の中に浮かぶ満月に向かって、大妙と天真五相(いずれも新体道の型)を行なう。自然とそうしたくなる光景だったのだ。この日で、通常のカーラチャクラ灌頂は全て完了(というのも元々満月に合わせて完了するように予定が立てられる)する。「チベット暦、木酉(鳥)の年、2132年11月15日、仏陀入滅2550年、ダーニヤカタカ(アマラヴァティ)にて、完璧に灌頂を授与しました!」と法王が宣言された。終了のお経が唱えられている間、会場には実に心地よい風が吹き続けていた。きっと様々な次元からの祝福の風であろう。期間中制作され続けてきた砂マンダラも、この日初めて公開された。

東の空にオレンジ色の満月が昇るころ、伝説のアマラヴァティの大塔跡(現在は土台だけが残っている)を、大勢のチベタンと共に初めてコルラ(聖なるものの周囲を時計回りに巡りながら祈ること)する。幾重にも重なった人の流れの外側には、沢山の灯明がゆらめいていて、幻想的な光景を生み出していた。法王は、1985年にもここで小規模な儀式を行なっておられるが、もしかしたらその時、将来、この地に大勢の仏教徒が集まり、ご自分がカーラチャクラの灌頂を授ける時が来る事を、イメージされていたのかもしれない。

ツイてるLは、この特別な日に、この特別な地で誕生日を迎えた。13暦的にも面白い日で、KIN16は昭和天皇のKINでもあるから、2005年のみどりの日(この日は私達それぞれの誕生日を対称化する日でもある)でもあり、同様に1953年そして1901年の4/29でもある。また、PCUはKIN96(16×6でもある)で、カーラチャクラの教えが最初に伝わったとされるシャンバラの国の数(8×12)ともシンクロしている。そもそも、この国の王スチャンドラが、入滅前の仏陀に請願して行なわれたのが、2550年前にこの地で行なわれた最初のカーラチャクラ(時の輪の教え)なのだから、こういうシンクロ(時や場所や数の一致)も自然といえば自然なのだろう。

そんな訳で、テント村の責任者に、朝、CとSと私でお祝い用の食事を頼んでおいたのだが、さすがにここはインド。約束の時間を2時間過ぎても「あと30分くらい」で押し通そうとする(というか責任者がどこか行ったまま帰って来ないので、しくみ上ここでは他の人は動けないのだ)。皆でチャイをすすりながら満月を愛でる時間がたっぷりあって良かったが、業を煮やしたCが、ついに憤怒のゼスチャーで訴えてようやくボチボチ動き出す始末。21:30になっても食べ物が出て来なかったら今日は寝ることにしよう、と皆で話していたら、なんと3分前位にちゃんと届くのだから驚く(と同時に責任者も戻ってきた!)。

まるで、こちらが限界に達する時間まで分かっているかのようだ。流石魔法の国インドである。出てきた料理の味もなかなかで、ひょっとするとアマラヴァティに到着してから一番美味しい食事だったかもしれない。LにCとSからのプレゼントもあって、満ち足りた日の夜は楽しさと共にふけていった。以上、13暦では、今日からぴったり6ヶ月前(28×6)のお話である。

■1/15、早朝、自然に目が覚める。この日は、ハレルヤの替わりに、どこからともなくコーランが聞こえてきた。街にモスクがあるのは知っていたが、コーランを耳にしたのは、アマラヴァティに来てから一週間以上になる今日が始めてだ。外に出てLと2人で朝の体操(新体道)をやっていると、2つ隣のテントにいるロシア人の兄さんが前を通り、初めて挨拶をしてきた。彼らの仲間は毎晩騒がしくしたり、グループ以外の人には無愛想だったりしたので、意外な気もしたが、ひと言「おはよう」と言い合うだけで、随分印象が変わった。もしかしたら灌頂を受けて、お互いに少しだけ良い人になったのかもしれない(笑)。

会場では、通常のカーラチャクラ(以下KC)灌頂では省略される事が多い「さらに高度な4つの灌頂」が、ダライラマ法王によって執り行われた(今回は、仏陀による最初のKCが行われたという伝説の場所で、しかも法王ご自身にとっての30回目という特別なタイミングだった事が関係しているのだろう)。印象的だったのは、儀式の中で帽子を被る段になって「寒いチベットでなら実用的な意味もあるが、昔のインドで帽子を被っていたとは思えない」とか「灌頂もそこに意味があるのではない」というような事をおっしゃり、ご自身も殆ど帽子を被ることなく儀式を進められた事だった。

前行の時に、参加者に向かって、「華美な装飾品は意味が無いばかりか、実際に食事をしたりするとき等にも邪魔になる」と諭した場面と一貫する考えが、形式を重んじる儀式においても貫かれている事に、私は感動を覚えた。袈裟の豪華さがその宗派での地位を示すような某国の坊主達と、そういう存在をありがたがる人々にこそ聞いてもらいたい話だ。法王は常々「意味ある文化伝承と、消えてゆくべき風習」との違いを口にされているが、その基準は「人類とって有用なものであるかどうか」という点に置かれている。まさに菩薩的な発想と言えよう。

儀式終了後、「完璧な条件が整って、無事に灌頂が完了しました」と宣言された法王は、特にヒマラヤを越えて参加していたチベット本土の人々に向けて、「気をつけて帰って、教えを守るように」と暖かい言葉をかけられた。思いやりの心に感極まったのか、お別れの時が来た事を悲しんでいるのか、会場では、あちこちからすすり泣く声が聞こえた。灌頂が行なわれていた3日間のPCUは、いずれもKIN96。この教えが最初に伝えられたというシャンバラの国の数96(8×12)と見事に一致している。「完璧な条件」というものを「時間の法則」の面からも垣間見た気がした。

体調も大分回復した私達は、会場からの帰り道、前々から注目していた美味しそうなオーラを放つチベット料理の露店に入ってみる事にした。若いお坊さん達に混じってチベットのうどんとも言えるトゥクパを頂くと、これが予想以上にヒット!同席した青年僧達に「一緒に写真を撮ってもいいか」と聞くと、服装をちゃんと整えながらOKしてくれた。ささやかな事だが、なんだか気持ちが良い。

1/16、いよいよアマラヴァティ滞在最終日だ。夜半に目が覚めた時、微かにお経が聞こえた気がして外に出てみると、暗闇の霧の中を、オレンジ色の袈裟を着た僧侶が、滑るように去っていく幻想的な光景を目にした。この日は会場でも霧が濃く、時には、数メートル先ですら見えないような状況になった。法王による、白ターラーの長寿の灌頂では、丸薬と甘露が配られたせいで会場は大騒ぎに(皆クレクレ状態で、思いやりの心はどこかに吹き飛んでしまったかのよう)。お陰で、続けて行なわれた文殊菩薩の礼賛偈の灌頂(?)は、前半殆ど聞き取ることができなかった。我らがDKR(※5)から法王に伝授された教えと聞いていたので、少し残念であった。最後に法王の長寿を会場の全員が祈り、閉めの儀式も全て終了。

「パーリ語とかチベット語とか、それぞれの言葉で残っている仏陀の教えを互いに教えあって行って欲しい」「釈尊の教えに対する勉強を、欠かさず続ける事が一番大切」「(物質的・経済的発展も否定はしないが)内面を高めて磨いて行くように」など、精神的文化継承の大切さを説かれた法王は、一方で「私は今70才ですが、現状を見るとまだまだ頑張らないと、と思います」と、チベット民族の長としての心情とも取れる言葉も発しておられた。だが、私達は、フライトの関係もあって、会場で余韻に浸る間も無く、テント村に戻って荷をまとめ、テント村スタッフと記念撮影。インド時間での対応や、デタラメな言い訳にイラついたりした事もあったが、10日間生活を共にし、顔を合わせていた人達との別れは、やはり何となくもの寂しい。もう会う機会も無いかもしれないと思うと、これも「一期一会」の仏縁だったのだなーと改めて思う。

灼熱のアマラヴァティを後に、車は一路ハイデラバードへ。途中、往路と同じドライブインでランチをとり(近くでは白鷺と牛が戯れている)、およそ6時間で空港に到着。ここでも、近くのモスクからアザーン(礼拝の呼びかけ)が響いていた。待ち時間に色々食べてお腹は空いていなかったが、スリランカエアの機内食は、美味しさに負けて思わず完食。あっという間に、コロンボへ。空港には、何とRちゃん(2001年ブッダガヤKCがご縁でお友達に。その後スリランカへ嫁いで、現地で旅行会社を設立)夫妻が迎えに来てくれていた。もともとの予定では、明日ホテルでめぐり合う事になっていたが、他のお客さまの関係で空港に立ち寄ったとの事。お陰で車の手配なども一切せずに済んだ(ツイてる!)。今晩の宿泊予定地ニゴンボまで、しばしドライブしながら再会を喜び合った。(インド編ー完ー) 前編に戻る→クリック

(※3)ゲシェ・ダワとの出会いについて
(※4)2002年法王とハラー氏の再会時の写真
(※5)クリカHPシンクロニック・ダイアリーのトップページでニカッと微笑むニンマ派の偉大なマスター、故・ディルゴ・ケンツェ・リンポチェのこと。

★本原稿はメルマガ「Happy シンクロ Days♪」に記載した記事です。


月の月24日 2・鷲(KIN15)

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