パレンケ円卓会議からアースデイへの贈り物

「惑星の月」の「青い惑星の手」の日(KIN127)。現れを仕上げる「惑星(10)」の力が高まる「魔術の亀の日」だったその日の晩、何となくで決めたyoutubeで、マヤ遺跡に関する20分余りの動画を観ていた。

コパン遺跡についての内容だったが、途中リンダ・シーリーというキャプションが出て「ああ、この人が!」と思いがけない出会いに驚く。10年ほど前『マヤのリズム』執筆時に大変お世話になった国立民俗学博物館の八杉佳穂先生から、「面白い人ですよ」という言葉と共に参考図書なども教えて頂いた経緯があったからだ。

こういう出会い方をした時には特に、誕生の日付が気になる。といっても以下の情報は全てwikiからのもので、それ以上の裏は取っていない事を断っておこう。

★リンダ・シーリー
誕生:1942年10月30日:KIN85(7・蛇)
死去:1998年 4月18日:KIN50(11・犬)

生きていたら現在の道筋はKIN215(7・鷲)で、ちょうど反対のパートナーの流れ。結婚してシーリーという名前になったのも26歳前後のようなので、面白い巡り合わせである。更に興味深いのが、マヤ研究の道に入ったプロセスだ。再びwikiにお世話になろう。

南アラバマ大学でファイン・アートを教えていたが、1970年のクリスマス休暇を夫や学生たちとともにメキシコで過ごしたときにパレンケを訪れてその魅力に引かれ、マヤ研究の道にはいった。

リンダ・シーリーはパレンケでマール・グリーン・ロバートソンと知りあい、彼女が設立者である1973年の第1回パレンケ円卓会議に出席した。このとき、シーリーはピーター・マシューズおよびフロイド・ラウンズベリーと協力して、パレンケの王統の歴史を明らかにした。

何と、パレンケ王朝の研究で有名になったシーリーは、マヤ学者としてスタートした人では無かったのだ!加えて、「パレンケ円卓会議」というワード。これが気になって、今度はマール・グリーン・ロバートソンについて知りたくなる。

★マール・グリーン・ロバートソン
誕生:1913年8月30日:KIN99(8・嵐)
死去:2011年4月22日:KIN119(2・嵐)

何と、旅立った日がアースデイにシンクロしているだけでなく、「青い月の嵐の年」という今年1年にもシンクロしている!加えてそこから10年に当たる今日KIN129(12・月)は、ホゼの息子ジョッシュ(KIN211)が旅立った日であり、まさにその日に生まれた剣武道友・丸山貴彦さんの誕生キンでもある。

私がアグエイアス夫妻&高橋夫妻と至近距離で交流したのは、まさに25年前の今日「アースデイ」(KIN104)であった。その辺りの詳細については【アースデイの倫理プロジェクト】を参照して頂くとして、マール・グリーン・ロバートソンについても、プロイフィールからメモしておきたい事がある。

マールはシアトルにあるワシントン大学でグラフィックデザインと建築設計を学んだ。(中略)1959年から1963年までメキシコのサン・ミゲル・デ・アジェンデにあるグアナフアト大学で学んだ。その間、週末にグアテマラのティカルを訪れてその遺跡に感動し、マヤ美術学者としての活動を始めた。

1973年にパレンケで「円卓会議」というマヤ研究者の会議を開いた。会議は1993年まで全8回開催され、全10巻の紀要が出版された。

何と、パレンケ円卓会議の創始者であるロバートソンもまた、最初からマヤ学を専門に学んだ学生ではなくデザイン方面からマヤの魅力にとりつかれた美術学者だったのだ!

ホゼ・アグエイアスもアカデミズムでの専門は精神文化に関する美術史であって、マヤ学者ではない。この3名に共通しているのは、「美」を探求するアーティストであり、マヤに対してもその「美」からアプローチしたという所だろう。

ロバートソンは「40年間に130の遺跡をまわって写真と拓本をとりつづけた」事によって貴重な記録を残し、大きな研究業績を上げた人物。「最初はシーツと油絵具を使った間に合わせの拓本だったが、翌年からは濡れても破れない日本の和紙と墨を使うようになった。」という点は、やはりメモしておきたい。

そして、パレンケでパカル王の石棺が発見された時に、メキシコ政府の依頼でその拓本を取った刀根山光人(10・嵐)もまた画家で、拓本は和紙と墨で行っていた事を書き添えておきたい(私達は幸運にもその拓本が所蔵されている世田谷美術館で展示があった時に間近で見る事が出来た)。

ホゼが、『ドリームスペル』の中で「音12 水晶の部屋」に「円卓会議が開かれる」という表現を用いたのは、他の用語からもアーサー王伝説に倣ったものであることは明らかだが、もしかしたらロバートソンが開いた「パレンケ円卓会議」にもインスピレーションを得ていたのかもしれない。

それにしても、ロバートソンが旅立ったのが10年前の今日(KIN119)で、他界してから14銀河スピンのKIN119が先の新月、つまり「青い月の嵐の年」の元旦(2020.7.26)から260日のタイミングに当たっていた事や、ロバートソンの他界から程なくして『マヤのリズム』が世に出た事など、一連の繋がりを振り返ると、何とも強力なサインが届いているのを感じざるを得ない。

もし、一昨日の夜選んだ映像がコパンに関するものではなく、シーリーがそこに登場していなかったら、私はマール・グリーン・ロバートソンという人物について全く知らないまま過ごしていただろう。しかし、まさにアースデイに合わせたこのタイミング、それも「青い月の嵐の年」という絶妙な時空回路を通じて彼女は”やって来た”のだ。それを証拠づけるような事がもう一つある。

ちょうど、シーリーの命日とロバートソンの命日の中間点に当たる4/20(KIN127)、つまりコパンに関するYouTube映像を見ていた日にLが書いた【4/29 魂のシャベルでKINを掘り起こせ! クリカ”わくわく”ZOOMフェス”】には、以下のメモが追記されているのだ。

ダライ・ラマ法王14世(1935.7.6生)= kin14 白い磁気の魔法使い。矢沢永吉(1949.9.14生)=kin254 白い共振の魔法使い。二人とも魔法使いで神秘の四つ組である。我々がグラーツでカーラチャクラ灌頂を受けた当時の矢沢永吉の道筋=kin99、今現在のダライ・ラマ法王の道筋=kin99。そして矢沢永吉の次の道筋=kin14となる。

加えて書くならKIN99は、我らがエンニオ・モリコーネが旅立ったキンで、その盟友ジュゼッペ・トルナトーレの誕生キンでもある。そして『銀河のマヤ 聖なる時の秘密』編集者の豊島さんの誕生キンだ。

『銀河のマヤ』の誕生とシンクロしてカトマンズで偶然出会った13人のグランマザーは、やがでNY国連ビルの一室で円卓を囲んだ「12人のマスター」へと驚くべきシンクロを通じて繋がる(『天地人々ワレ一体』のあとがきに詳しく追記してある)。

「持続可能な開発目標(SDGs)」へ向けての根本的なヴィジョンを共有し合ったマスター達が、その会議に集うプロセスを描いたドキュメンタリー『The Twelve』の上映会を、アースデイにちなんで4/24(KIN131)に大阪で行う予定であったが、状況を見て中止を決定した。

そして、中止の決定から諸々のキャンセルの手続きを一気に行なったKIN127(4/20)の夜にシーリーに出会い、そこからロバートソンへと繋がったのだ。そして、ロバートソンがアースデイ41周年のKIN119、つまり10年前の今日旅立った事を知るに至ったのである。

そして今日はまさに「水晶の円卓の日」!

私は、この一連の出来事を通じて、パレンケ王朝を生み出した存在やその11代目の王であったパカル、更にはその王統をマヤ文字から解読したシーリーや、シーリーを円卓会議に誘ったロバートソン、そしてパカルの声を聴いて『ドリームスペル(13の月の暦)』を生み出したホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻が、「パレンケに注目せよ!」「パレンケに芸術を開花させた知恵の源泉に同期せよ!」と呼びかけているように思えてならないのだ。

上記の発見プロセスを直接体験すれば、こんな風に考えたとしても「妄想が過ぎる」とは言い切れないのではないだろうか。発見のタイミングと内容に関しては、私の妄想だけではどうにもならないからだ。そして「青い銀河の嵐」という時空が「銀河的な知恵の源泉」へと誘っていると感じられた人は、そこから何かが始まるのである。(D)

惑星の月19日 12・月(KIN129)

追記:冒頭の映像を見る最初のきっかけを与えてくれたのはKIN200(5・太陽)のタツさんだった。シャングリラ探検の動画をシェアされていて興味を持り、そのドキュメンタリーを見た。そして同じ TIMELINEというシリーズの中に今回の映像を見つけたのだ。このブログを書いたのはほぼKIN128(惑星の月18日)のうちだったが、サイ時間はKIN200で回路を開いてくれたタツさんのキンであった!深く感謝したい。

追記2:国立民俗学博物館の八杉先生を紹介してくださったのは、「12人のマスター」の一人に日本人から唯一選ばれた天真体道創始者の青木先生である。改めて感謝したい。

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