GM108Xの導き(6)〜藤原京に掛かる虹

自己存在の月11日(10/28)、黄色い自己存在の星の日(KIN108)に登頂した天香久山は、152mというとても可愛らしい山だったが、ドリームスペル(13の月の暦)プレイヤーとしての私は、「時間としての108」と「空間としての152」の合計が「全体を示す260」になるところに、計り知れない深さと美しさを感じていた。

しかも、その山頂に祭られているのは国常立命。『古事記』では神代七世の最初の神、『日本書紀』では天地開闢の際に出現した最初の神だが、案内板によれば俗に「雨の竜王」と称されたともある。

干天時に祠の前に埋められている壺の水を替えると雨が降ると伝えられているとか

「蛇つなぎ石」の所にあった説明も合わせて考えれば、天香久山は古代から雨乞いの神が祭られて来た地で、今は境内社として祭られている高龗神(竜王神)を包含する形で、後に国常立命が祭られたのではないかなどと想像が膨らむ。ちなみに、龗(おかみ)は龍の古語で、龍は水や雨を司る神として信仰されて来た。

まだ他の登山者の気配も無いので、発声しながら天真五相を奉納。「月の誕生石」でもここでも、何かをし終えた瞬間に、狙ったようにボトリと木の実か何か(結構大きなもの)が落ちるので、山が応答してくれているかのように感じられる。

畝傍山、二上山方向に開けたベンチに座ってしばらく開眼での瞑想をしてから山を下り、伊弉諾神社、伊弉冊神社、そして麓の天岩戸神社という順に参拝。辺りの民家の屋根が綺麗な瓦で統一されているのが美しい。爽やかに晴れ渡った青空に様々な形の雲が踊り、太陽の周囲には虹の輪が輝き始めた。

耳成山方面に戻る形で北上すると、奈良文化財研究所藤原宮跡資料室がある。博物館は月曜休館の所が多いが、ここは年末年始と展示替え期間以外は開いているようだ。出土品や映像資料もそれなりに興味深かったが、私に一番響いたのは当時の藤原京の大きさを示す地図。大和三山を包含するその都は、平城京よりも巨大であった事を知った。

また、この都の着工は、伊勢内宮の式年遷宮が始まったのと同じ持統4年(690)年で、実際に都として機能していたのは、持統8年(694)から和銅3年(710)までの16年間だったという事も初めて知った。「16年間のテレクトノン」の名を持つ『時間の法則の20の銘板』との繋がりがここにも見られる。

帰宅後、資料館のパンフをLに見せると、即座に「タイムトンネル」という文字を発見。自分では全く気づいていなかったが、資料館内の「現代から藤原京の時代へ」と展示エリアに「タイムトンネル」という名前が付けられていたのだ。「蛇つなぎ石」から「月の誕生石」というフラクタル圧縮された「時間トンネル」を抜けた直後に、藤原京への「時間トンネル」まで抜けていたとは驚きだ。

しかも、藤原京が都として機能していた期間は、パカル王の墓室が封印されたとされる692年直後の「失われた7つの世代」の最初の世代(692~711)にほぼ重なっている。資料館のすぐ近くにあった「畝尾都多本神社」の住所が橿原市木之本144であった事も含め、GM(ギャラクティック・マヤ)108Xは『テレクトノン』の再活性化を促しているかのようである。

ちなみに、この神社の御祭神は哭澤女神(なきさわめのかみ)で、玉垣で囲んだ空井戸がご神体として祭られている。天香久山山頂にあった高龗神(たかおかみのかみ)と同じく、水や雨に関する神であることが推察されるが、後で日本神話.comを調べたら、10/8(KIN88)にこの神社についての詳しい記事がUPされていた。やはり「星」に導かれている。

神社の参道前に「8241」ナンバーの車が停車していたのが気になって撮影。理由は単純で、この日の「黄色い星」の紋章コードナンバーである「8」と、自分の誕生キン「241」が並んでいたからだが、何故か「8×241」としてみたくなって計算すると「1928」になった。その時は別にピンと来る数でもなかったのでそのままにしていたが、これが後から響いてくるのだから面白い。やはり「遊び」の中にこそ驚きの鍵がある。

さて、そこから藤原宮太極殿跡までのおよそ1キロあまりは、1320年前の都に思いを馳せながらダダっ広いところをブラブラと歩いた。空には変わらず様々な形の雲が現れ、虹色の暈は輝き続けている。観光用に作られた列柱が見えて来た事で、この辺りが藤原宮の中心だったのだろうかと想像する。

天香山神社にあった三角注連縄と共鳴する三角雲

時のからだ塾MLで12:38頃が新月と教えてくれた塾生がいたおかげで、大和三山に囲まれた藤原京の中心部にいるその時、ちょうど太陽と月が同方向で重なっているのが分かった。ここから真南(今太陽と月がある方向)に、この都、そして現在の日本の土台を作り上げた天武持統天皇の陵墓があり、天香久山と耳成山を結ぶ線を畝傍山からの直線で二分する方向には三輪山がある(上の地図を参照)。

そこから少し離れたところにコスモス(宇宙)畑が広がっていて、そこに近づくにつれて人が増えてきた。なるほど駐車場がこちら側にあるのだ。橿原市藤原京資料室の方は休館だったので、そのまま西に進んで「おふさ観音」の前を抜けて飛鳥川に至ったところで北上。

JR桜井線(万葉まほろば線)の下をくぐって橿原郵便局前に出るこの辺りが、4つの国道(24,165,166,169)が重なっている大変珍しい場所である事を後で知った。結局、朝に軽いモーニングを食べて以降、ペットボトル1本の水だけでやり過ごして来たので、流石にお腹が減って来た。

荷物を預けたロッカーの鍵

大和八木駅前で遅めのランチにしようかとも思ったが、ふと前日にお会いした京都「わたつね」の方の事が思いだされて、場所や営業時間を確認。地下鉄の烏丸御池駅からも近いようなので、寄り道して食事はそこで頂く事に決めた。ただ、電車の時間調整もあったのでまずは大和八木駅前のミスドでひと休み。その時にメモしたものがこのブログの土台となった。(D)

自己存在の月28日  8・蛇(KIN125)

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