豊かさを夢見る「夢の国」の大嘗宮

雨模様だった12/2は、『13の月の暦』の365日暦で「倍音の月18日」、260日暦でKIN143(13・夜)に当たっていた。この日、私達は皇居東御苑の「大嘗宮」を見に行こうと決めていた。参観可能な11/21(倍音の月7日、KIN132)〜12/8(倍音の月24日、KIN149)の中で、行けそうな日程がそこしかなかったのだ。

午前中に出るつもりだったのが、色々やっているうちにお昼近くになってしまい、そろそろ出かけようとなった所で、珍しく実家から電話が入った。米国在住の従兄弟が急な仕事で来日し、実家に立ち寄ってその日のうちに米国に戻るというので、電話口で少しばかり話す。

話しながら、三重県出身の奥さんが鸕野讃良(うののさらら→持統天皇)を意識して彼らの娘に「さらら」という名前を付けた事を思い出した。思えば、大嘗祭が通常の新嘗祭とは別格の規模のものとして行われるようになったのは、持統天皇の夫・天武天皇の時代。そう思うと、このタイミングにかかってきた思いがけない電話に多次元的なサインを感じる。

KIN108(10/28)に天香久山や藤原宮跡を訪れた時に手に入れた地図に、「さららちゃん」という橿原市の観光PRキャラクターが掲載されていた事を伝えると、今年だか去年の夏に奥さんと「さららちゃん」がそのエリアに行って、キャラと一緒に写真を撮った事などを従兄弟は教えてくれた。

この日はまた、私の五十歳の誕生日から「13の月の暦」で正確に4ヶ月目に当たる、毎月のプチ誕生日でもあった。その五十の誕生日に初めて皇居東御苑を訪れ、大嘗宮がそこに立てられる事を知ったのだから面白い巡り合わせである。そもそも、私はこの夏まで、皇居東御苑という場所について全く知らなかったのだ。

知ったきっかけについては【伊勢内宮への国道23号、皇居東御苑への国道1号】に詳しく書いてあるが、伊勢内宮、五十鈴川御手洗のさらに上流、御神域に囲まれたエリアに住んでおられるSさん(KIN218)から教えて頂いたのである。Sさんのお名前は何年も前から耳にしていたのに、こういうタイミングで深く交流する事になるのが惟神なのだろう。

大手町駅で半蔵門線を降りて大手門に向かうも、参観用入口は坂下門に限定されているようで、そちらに迂回するよう促される。既に参観した友人たちが揃って「2,3時間並んだ」と書いていたので、あまりに長蛇だったら諦めようかとも思っていたが、雨が幸いしたのか全く並ぶ事なく大嘗宮に辿り着く事が出来た。

あるいは、月曜だった関係で、美術館見学と連動したバスツアーの団体さんが居なかったのだろうか。いずれにしても、何時間も並んだ上に、止まる事も許されずベルトコンベアー式に移動させられるというような事もなく、比較的自由に様々な角度から大嘗宮を見学する事が出来た。また、雨に濡れた紅葉の乾通りも素晴らしかった。

最後は平川門から出て竹橋経由で帰宅。その後、ちょうどこの日まで行われていた天真書法塾シャンバラ教室【美味しい時空ギャラリー展】の展示作品を撤収しにTime&Spaceへ。思えばKIN143(青い宇宙の夜)はこのお店の誕生キンで、この日がちょうどオープン9銀河スピン(260×9)というタイミングだった。

「青い夜」のキーワード「豊かさを夢見る/直観」と「大嘗宮」の印象から思い出したのが、東京国立博物館の正倉院展で目にした森鴎外(KIN10)の歌『 夢の国 燃ゆべきものの 燃えぬ国 木の校倉の永久に立つ国 』だ。

目に見える「大嘗宮」は間も無く解体されてしまうが、伊勢の式年遷宮のように1000年以上も継承されてきたそのやり方自体が、目に見ないものを尊ぶ「燃ゆべきものの 燃えぬ国」を象徴しているように思える。我々は「夢の国」のそういう側面をこそ、継承して行くべきではないだろうか。

「自己存在の月28日、KIN125(8・蛇)」から「倍音の月1日、KIN126(9・世界の橋渡し)」にかけて行われた一世一度の大嘗祭は、125代天皇から126代今上天皇への移行と完璧にシンクロしていて、改めて『13の月の暦』と日本の見えざる結びつきを感じさせられた。

真の豊かさは、見えるところ見えざるところが関わりあいながら育まれて行く。365日(目に見える側面)と260日暦(目に見えない側面)を併用する『13の月の暦』は、そうした古代からの日本の精神文化のあり方とよく響きあうのであろう。古くて新しいこの暦と共に、日本の新しいあり方を探求したいものである。(D)

倍音の月22日 4・手(KIN147)

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