お伊勢参り/内宮奉幣の儀

私がお伊勢さまにお参りするようになってから今年で33年目。その間、毎年のように、あるいは一年に数回伊勢を訪れていることもあるので、大げさで無く50回は伊勢に参拝していると思う。

伊勢に行くと心からリラックスし、毎回毎回、日本人であることを心から嬉しく思うのだ。しかし、今回の参拝はちょっと特別だった。12時から内宮で行われた「奉幣の儀」を初めてその場に身を置いて拝見し、その美しさ、清々しさ、神々しさに、言葉にならないくらい感動したことを記しておきたい。

今回のお参りの日程を組んだのは2週間ほど前のこと。そして、内宮の月次祭がちょうど私のお参り日程中(12月17日KIN158/2・鏡) に行わることを知ったのは出発前日。天照大神さまから招待状をいただいたかのような気持ちになった。神宮の公式サイトによれば『12月の月次祭は、10月の神嘗祭・6月の月次祭と共に「三節祭」と呼ばれる、神宮の最も由緒深い祭典』とある。しかし実際に目撃した祭典の姿は、想像の世界を遥かに超えていた。

緋色の袴が祭主の黒田清子さん。

内宮の社務所を超えた神楽殿の前に、他の見学者と一緒に横に並び、奉幣の儀の列が過ぎるのを拝見した。その後、そのまま列の後について正宮でお参りと見学が可能(撮影不可)。正宮の御垣内(外玉垣、四丈殿、内玉垣、さらに瑞垣の内部、御正殿)で行われている儀式(おおよそ一時間)の様子はほとんど何も外玉垣の外からは見えない。

この木箱の中に、天皇陛下から天照大神への捧げもの(五色の絹)が納められている

けれども警備の方がとても親切で、捧げものについて質問すると、この儀式は神宮の儀式のなかでも特に重要なもので6月と12月にだけ行われること、天皇陛下からの五色の絹織物が祭主によって天照大神に捧げられることをまずは教えてくださった。さらに、御垣内の中での様子は外から見ることはできないが、拍子木の音が儀式の進行の合図になることや、それを聞いて中の様子を想像し心を合わせたら良いこと、そして祝詞やお玉串のタイミングも拍子木の音を追いかけていたら分かるので、儀式に気持ちを合わせることができることなど、さりげない説明をしてくださり、知らないことばかりだったので、ありがたい限りであった。

麻を頭に巻いた神職は、祭主の黒田清子さん(天皇陛下の妹/KIN125。父上である上皇陛下は125代天皇。伊勢神宮は全部で125社。)をはじめとし全員で九人。神職は、瑞垣の内部の儀式を終えられると瑞垣内部から外玉垣内に戻られ、外玉垣内重鳥居の外側、左手の広場に、ご正殿を向かれて横一列にポックリを脱いでお座りになり(イグサマットのようなゴザが石の上に9枚敷かれていた)、一番右に座っておられる黒田さんから順番に一人一人立ち上がられ、九人の方々がそれぞれ、鳥居をくぐり内玉垣南御門まで歩かれてお玉串を捧げていらっしゃる様子が、外玉垣の外側から、それだけは本当によく拝見することができた。その間じゅう地面が揺れてグラグラしていたように感じ、私の体が何か変容してしまったような感覚が生じたこともメモしておきたい。

榊のお玉串は、祭主の黒田さんは、内玉垣南御門の中央よりも左側、それ以外の神職の方々は、さらに柱を挟んで左側に捧げていらした。なんと無く「どかんと真ん中に、どうだー!」みたいな捧げ方ではなくて、神様のいらっしゃる中央は遠慮する、正面はちょっと避ける、ような動作や気遣いに、日本の精神の美が感じられて、深い感動を覚えた。日本人の中に延々と育まれてきた文化や美意識とは、こういうものなのだろう。

しかし、祭主の黒田さんを初めとする神職の御列が、警備の方に先導されて内宮正宮を後になさる際は、外玉垣南御門(通常は白い布がかかり、お賽銭を捧げるところ)が道として全てフルオープンになり(お賽銭箱の設えも臨時に取り払われ)その中央からお出になり、石段を降りて行かれた。自然と皆、頭を垂れて見送らせていただいていたので、神職の方々の足元が見えるのみであったが、内心、えーーーここを歩かれるのかーーー!と、ちょっとまた違う意味での感動があった。(L)

12月の伊勢と大和路巡礼の旅、まだ少し続きます。

律動の月7日 4・太陽(KIN160)

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