マヤ長期暦9.13.0.0.0から1328年

今日、3/16(KIN247)からぴったり8年前の2012年3月16日(KIN187)、古い手紙の整理をしていた私は、数年間見失ったままになっていたパレンケ訪問時(1999.4.12)のスケッチを、手紙の束の間から発見した。

それから18日後の4/3(KIN205)、KIN3Dなどのアプリを活用してあれこれ調べるうち、マヤ長期暦の「9.13.0.0.0」をグレゴリオ暦(G暦)に換算すると、692年3月16日になる事に気付き、大興奮した事を思い出す。

199.4.12にパレンケで描いたスケッチ

何故なら、パレンケで神殿を見ながらスケッチした絵を再発見したのは、そこからぴったり(1日のズレもない)1320年というタイミングに当たっていた事が明らかになったからだ。『13の月の暦』提唱者のホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻は、『甦るマヤの預言「新しい時間」の発見』(P138)の中で以下のように述べている。

”パカル・ヴォタンの死んだ六八三年から九年かかって、この神殿ピラミッドがつくられました。それは、マヤの「九人の時間の主」、「九人の運命の主」とも関わりがあります。”

”西暦六九二年に神殿は完成しました。マヤの長期計算法のバクトゥン表示では、この年は〈九・十三・0・0・0〉と書かれ、九と十三という数字がここにあります。この二つの数字に示される年に神殿は完成し、墓室の大きな石の扉は閉じられたのです。”

一方、『13の月の暦』の365日暦で10日に当たる今日は、『テレクトノン』だと長期暦での10番目のバクトゥン(バクトゥン9)に対応する事から、ボード上の10日の位置には「パカル・ヴォタンのテレクトノン」という言葉が記されている。また、同名の小冊子『パカル・ヴォタンのテレクトノン』のP44、111節には以下のようにも書かれている。

“私の預言は、追放の12:60の道と、あがないの13:20の道の教え。私の神殿の完成と、私の天王星の墳室の閉鎖が、AD692年、9.13.0.0.0。そのときから、その発見と再開示のあったAD1952年、12.17.0.0.0のあいだ、ちょうど1260年が経過した。”

つまり、今日、太陽の月10日(G3/16)は、28日周期で見ても、365日周期で見ても、「パカル・ヴォタンのテレクトノン」という預言にリンクした日付で、9.13.0.0.0から正確に1328年というタイミングに当たるのだ。これは13ヵ月28日の『13の月の暦』で生きている私にとって(そして同じ暦を使う仲間にとっても)、非常に特別な1日であると言える。

ホゼがパカル王から4次元的に受け取ったこの預言は、時間に関するテルマ(埋蔵経典)であり、「碑銘の神殿」の完成とされる692年から墓室の発掘に至った1952年までの1260年が12:60物質主義周波数を象徴し、マヤ長期暦大周期の完了ポイントだった2012年までの1320年が13:20銀河周波数を象徴する、という所にそのエッセンスがある。

8年前の驚きは、リアルタイムの興奮したエネルギーと共に、江本勝所長との共著『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』P89〜に詳しく記してあるが、今日、改めてそれに触れることにしたのには、いくつかの理由がある。

ひとつは、32日前の2/12(KIN215)に、台北MRT「信義安和駅」にて「13:28」というデジタル時計を撮影していた事と関係する。その場では単に13ヵ月28日とだけ思っていたが、コロナに対する台湾政府の対応の見事さが世間的にも注目される中で、その写真の事が思い出されて、今日が「9.13.0.0.0」から「1328」年である事を気づかせてくれるきっかけにもなった。

もうひとつは、封印から1320年に当たっていた2012年3月16日がKIN187で、そこから2600キン(10銀河スピン)が経過した日が、平成最後の日(2019.4.30=KIN187)だったという事を、改めて認識したからだ。

2012年の時点では、平成最後の日が何時になるかなど知る由も無かったが、神殿完成1320年と美しく同期するタイミングに「平成」も譲位という形で完了したという事実は、皇祖天照大神が祭られている伊勢神宮にホゼと共に『ドリームスペル』を奉納し、「平成」という時代を初めから終わりまで体験した身としては感慨深いものがある。

さて、当初はここまでの事を軽くメモしておこうと思ったのだが、更にいくつかの細かな気づきもあったので、以下に付け加えておきたいと思う。

前掲書『銀河のマヤ』でも断りを入れている通り、実はアグエイアス夫妻による資料以外で、パレンケの「碑銘の神殿」が「9.13.0.0.0」に完成したとか封印されたと明記されているものを、私は見つける事が出来なかった。

探し方が下手なのかもしれないが、『THE CODE OF KINGS』や『THE ORDER OF DAYS』などパレンケについて結構詳しく書かれている本を読んでみても、「9.13.0.0.0」はパカル王の未来の記念日(死後に当たるので)とか、息子のカン・バハルムが十字の神殿群を捧げた日付としてしか登場しなかった。

もちろん、古代マヤの世界観で特別視される「9」と「13」が含まれる区切りの良い日であるだけに、アグエイアス夫妻の言う通り「碑銘の神殿」がその日に完成(墓室封印)したという可能性もあると思うし、そうでなかったとしても、私にとってはあまり大きな問題ではない。

実践している『テレクトノン』の文脈で「完成の日」とされていて、上記のような体験も実際にしている私にとっては、それも一つのリアリティだからだ。ただ、アグエイアス夫妻に家族のような親しみを感じならがも、彼らの盲目的信者でもない私は、アカデミズムの世界ではどう言われているのか、を把握しておきたかったのである。

そのプロセスで小冊子『パカル・ヴォタンのテレクトノン』に登場する「AD1952年、12.17.0.0.0」という記述も、ちょっとおかしい事に気づいた。どう計算しても1952年にはならないからだ。KIN3Dで調べれば「12.17.0.0.0」は、1953年11月1日(KIN202)になる。

MAYA3Dでも1953年11月1日になるのは当然なのだが、興味深いのは古代マヤのツォルキンだと、この日が「10アハウ」(KIN140相当)になるところ。【311についてのパカル王からのお告げ】に書いた通り、140は「テレクトノン」の数だからだ。

もしかしたら、ホゼはそれ(140)を意識して、1952年に最も近く、区切りの良いカトゥンでもある「12.17.0.0.0」を選んだのかもしれない。トゥンの位まで動かせば「12.16.19.0.0」が1952年11月6日で、「12.16.18.0.0」が1951年11月12日となるのだが、そのどちらも10アハウ(140)にはならないからだ。

とにかく、「12.17.0.0.0」と「9.13.0.0.0」の差である「3.4.0.0.0」は460,800キンとなり、この期間を365.242で割ると、1261,6年という中途な年数になってしまう事は明記しておきたい。ここは下手に長期暦表記を入れず、「1952-692=1260」という事で良かったのではないかとも思うが、チャネリング状態で書かれたものでもあるので、その状態ではそれなりの意味合いと整合性があったのかもしれない。

最後に、「9.13.0.0.0」から1328年記念の日でもある今日が、KIN247になるところにも注目しておきたい。「247=19×13」と書ける通り、今日は19番目のウェイブスペルの最終日。『テレクトノン』の文脈では「アラーの慈悲の力(19)」が13倍される日とも言えるので、【19がその番をする(絶対拡張キンの起源)】も参照してみると、面白い発見があるかもしれない。

という事で大分長くなったが、「9.13.0.0.0」から1328年記念を13ヵ月×28日(+1日)カレンダーのユーザーがお祝いできるのは、今日一度きりということで、大目に見てもらえたらと思う。(D)

太陽の月10日 13・手(KIN247)

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