剣武天真流と丸山敏雄氏が学んだ天真術の剣

6/12(KIN75)、剣武天真流本部正師範の研究稽古が数ヶ月ぶりに行われた。ビデオ会議は比較的頻繁に行っていたので、久しぶりという感じは無かったが、やはり「その場に身を置く」というリアルさは、非接触であっても映像とは質的に大きく異なるコミュニケーションを生じさせる事を実感した。

稽古後の移動中、ふと駐車場に並んでいる車のナンバーが目に止まり(というか無意識に目に飛び込んで来て)、少し戻って写真に収めた。「117」「211」。どちらも一般的には特別な数ではないと思うのだが、最近『純情に生きる 稀代の教育者 丸山敏雄』(高橋徹著)という本が手元に届いて、敏雄氏のひ孫に当たる丸山貴彦さんと共に歩いている最中だった私にとっては、ただ事では済まされない「数」であった。

なぜなら、丸山敏雄氏は1892.5.5生まれのKIN117(13・地球)で、KIN211(3・猿)は、ほんの4日前に【金星が奏でるアルクトゥリアン・コーラス】というブログ記事の冒頭にも書いた日付だったからだ。

そのブログでは、私達が二子玉川に越して来た日付がヴィーナス・トランジット当日の2004.6.8(KIN211)だった事と、貴彦さんがホゼの息子ジョッシュ(KIN211)が他界したまさにその日に生まれたとだけ書いたが、もう少し詳しく書いておこうと思う。

ジョッシュは、私の誕生日からぴったり30日前の1969.7.13(KIN211)に生まれ、ホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻が世界に呼びかけたハーモニック・コンバージェンスのわずか2ヶ月余り後の1987.10.29(KIN129)に、18歳の若さで他界した。そして、まさにその日に生まれたのが貴彦さんなのだ。

ホゼがジョッシュに捧げた本『時空のサーファー』を通じて『13の月の暦』を知ることになり、その本が別な出版社から再販された時に「あとがき」を書くことにもなった私にしてみれば、この一連の繋がりが想起される「117」「211」を、「貴彦さんと歩いている時」に目にするのは、驚き以外の何物でもなかったのだ。

だが、見えない次元からのサインは更なる発見を促していた。帰りの電車の中で、最近、貴彦さんが敏雄氏の日記を読み進めていて、とても興味深い記述を発見した事を教えてくれた。何と、「天真術」「真の型を学びたり」「生まれてはじめて真剣にて切りこみの練習せり」などと、はっきり記されていたというのだ。

敏雄氏が剣術を少しやっていたという話は聞いたことがあったらしいが、具体的な証拠を目にした事はなく、そこに「天真」という言葉と共に剣術が登場した点は、貴彦さんにとっても驚きだったようだ。何しろ、そんな背景など知らずに、思いがけない流れで剣武”天真流”の師範になったという経緯があるからだ。

翌6/13(KIN76)、剣術について書かれていた敏雄氏の日記の日付が、昭和13年(1938年)10月9日である事が判明。調べると、『13の月の暦』の260日暦でKIN164(黄色い銀河の種)であった。これは『13の月の暦』が発表された当初から目標とされていた「銀河の同期」(2013年7月26=KIN164)と同じ日付。

敏雄氏が天真術を学びに行った日から260日暦が105回巡ると「銀河の同期」という関係性。「365-260=105」は、マヤ地域における太陽の天頂通過とも関係する数だけに、ただの数字とはいえ興味深い関係性である。また、この件について貴彦さんから話を聞いたのはKIN75だった訳だが、1938から2013年までは75年でもある。

ここで、サイ時間の由来にもなっている「倫理プロジェクト」について書こうとして、過去にも書いた事があったはずと思って検索すると、何と、2018.4.23の【アースデイの倫理プロジェクト(KIN75)】にたどり着いた。そのブログの中には、KIN117も登場しているのだが、どうやらそれが敏雄氏のキンだとは気づかず書いている所が、我が事ながら面白い。

倫理プロジェクトについて書いてから780日(火星会合周期)後に、貴彦さんと敏雄氏の話をし、「117」の車を目にしている事実。そして、このブログを書いているKIN78の日中、近所で見かけて何となく撮影した「780」がここに繋がって来るという事実。全くもって不可思議だ。ちなみに、今日は古代マヤ暦では「7ベン」(KIN33相当)の日だったが、KIN33はテレクトノンでは火星軌道に対応する。

後で貴彦さんが教えて下さった情報によると、敏雄氏の剣術に関する記述は『丸山敏雄全集』(第24巻下の919頁)にあるとの事。送っていただいた日記の写真(一部)には、「高安村」「不動の滝」という記述も見られたので、信貴山方面か確認したら、前後の日記には信貴山も出てくるし、当時、敏雄氏は大阪の堺(仁徳天皇陵近く)に住んでいた事も教えて下さった。

実はこのブログの内容、本来はKIN77(東日本大震災13銀河スピン)の内にUPしようとしていたのだが、それが叶わぬままKIN78(13・鏡)になった。それで、『純情に生きる 稀代の教育者 丸山敏雄』をパラッと開くとP14(今年1年のKIN)で、そこには以下の記述があった。

”一八九六(明治二十九年)六月十五日、岩手県沖でマグニチュード八.二の大地震が起きた。この三陸地震津波での死者は役二万二千人に及んだと言われている。”

まだ、殆ど読んでいない本を手にして、いきなり124年前の6/15が出てくる驚き。その日を調べると、まさに今日暦クラスで触れた「パカルの特別な日」の一つKIN58(6・鏡)であった。この三陸地震は宮沢賢治の誕生と近かったはず、と思って調べると、やはり「73」日後の1896年8月27日(KIN131)が賢治の誕生日であった。

賢治との関係性が記された【鎌倉みちのく魔術紀行(6)四重虹】という過去記事には、6/15についてさらに面白い情報が書かれていたが、キリが無いのでここまでにしておこう。

ただ、パカル王墓が発見されて68周年の今日にふさわしい情報として一つ書いておきたいのは、マヤ長期暦の起源の日(BC3114.8.11)から52年周期のカレンダーラウンドが73回巡ると683年、つまりパカルが他界した年で、他界した日がKIN58に相当する「6エツナブ」だったという事。

最後に、「倫理プロジェクト」のリンク先にもKIN58は「長崎原爆投下の日」として登場している。KIN55の広島は、ハーモニック・コンバージェンスとの関係で注目されがちだが、長崎はあまり意識していない人も多いと思う。今、なぜ丸山敏雄氏なのかは、これら全ての繋がりと関係があるのだろう。

様々な次元の不調和状態を変容させ、調和的に統合する手段として「倫理」の運動や「倫理プロジェクト」(13の月の暦)があり、更には「剣武天真流」もあるのだと、敏雄先生が教えて下さっているように、私には思えてならないのである。(D)

水晶の月17日 13・鏡(KIN78)

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オンライン録画
・6/15(月)20:00オンライン「テレクトノン」と「パカルの特別な日」

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