ハヌマーンの手鏡・エピローグ(KIN20)

カトマンズでのビール(シャーマン)見学体験からおよそ2週間後の2017.12.1、再び悟郎さんがFBでビールについての情報をシェアしてくれていたので、以下に、そこから拝借した情報を整理してみたい。

・家で大金を盗まれた友人(修士号を五つも持ってる)がビールの所へ行った
・友人は家の前に住んでる姪っ子を、映像を見る役として連れて行った
・その姪っ子は犯行時の現場の一部始終を白黒動画で鮮明に見た
・友人しか知り得ない情報と犯人の後姿などなどを姪っ子が現場で見ている如く語ったと驚いてた
・犯人は友人の家に三人居るお手伝いの中の一人だったそう
・最近、急に羽振りよく身の回りの品が増えていたと言う

まだ現場での印象が生々しく残っているタイミングで、悟郎さんの身近な友人がこのような体験するとは、何とも不思議な連鎖だが(10年近く毎年会っていたのにビールの話題が出たのは1年前が初めてだった事含め)、私は「映像を見る人の条件」に何よりも驚きを感じていた。

何しろ、それなりの条件があるとは言え、「能力」という観点から言えば「映像を見る役は誰でも良い」のである。催眠でも何でも掛かり易い人とそうでない人がいるものだが、少なくとも実際に相談に行った経験のあるウサさん、今回の友人の姪っ子さん、そして見学させてもらった時の若い女性という3つのケースについては、例外なく映像が見えているのだ。これはスゴイことだと思う。

例えば、ランダムに選んだ若い女性に、ちょっとおまじない的な手続きをして、靴墨か何かで黒く塗った掌を集中して見るよう促したとして、何らかの映像を動画で見させる事など出来るだろうか?しかも、ただ映像らしきものが見えるだけではなく、犯行現場の細かな動向について「見ているがごとく語る」という状況を作り出せるものだろうか。

もちろん、「親戚が大事なものを盗まれた」という前提でそういう場に連れて行かれたら、想像で映像を見た気になる、というのはあるかもしれない。しかし、それでは関係している第三者が驚くような情報(上記なら友人しか知り得ない情報)をそこに織り込むのは難しいだろう。

その上、ウサさんご自身の体験では、「義理の姉と叔母さんの三人で全く同じ映像を見ていた」というのだから、一人だけが想像したり妄想したりしているのとは全く状況が異なるのだ。また「集団催眠」で片付ける事が出来ないのも、映像に基づいて何かが発見されたりする事があるからだ。

実際、見えるのが「失くした物の場所だけのケースもある」とのことだし、催眠だ妄想だなどという議論など、現地の人にとってはどうでも良く、実用的だからこそ彼らはビールに相談に行くのである。そして、そういう習慣が今も続いているのである。

今回「見る役」に選ばれた子は、犯人(お手伝いさん)が掃除をしながらカバンを物色し、そこから抜き取りポケットに入れて、外へ出て行く場面まで見えて、その横にあったバイクなども全て鮮明に見えていたとの事。

興味深いのは、その子には、今までに見た事の無いとても特別なサルが見え、セッションが終わった後も、芳しい香りが部屋一杯に充満してるのにも気づいたと言う点(ちなみにウサさんの時は普通のサルが見えたらしい)。「ハヌマーンの精霊が映像を見せてくれる」というビールの説明に、偽りは無いのかもしれない。

さて「掌に映像が映る」という現象に驚かされて、帰国してからしばらくの間も、新しく見聞を深めたかのような新鮮な気持ちでいたが、ある時『霊性のアート』によく似た話を掲載していたのを思い出した。「現代に生きるヒマラヤの魔術師達」というタイトルでブータンの事例を詳しく紹介していたのを、すっかり忘れていたのだ。

そこでは「掌」ではなく実際の「鏡」が使われていたが、シャーマン自身ではなく、複数の関係者が「鏡の中に同一の人物像を見る」という点は酷似していた。「水晶玉の中に映し出される映像を見る」というのは、占い師を表現する定番の描写だが、地域や文化によらず、同じような現象はずっと昔から人類に知られていて、実際に活用されても来たのだろう。

おそらく道具は何でも良いのだ。特定の手続きを踏み、場を作り出せれば、そういう現象は起こせるのだと私は思う。また、時代や地域によらず類型的なもの見出せるという事は、人類にとってデフォルトな能力と関わる技法(アート)である可能性が高い。それは、科学という名の魔法が世界を席巻している現代においても、未だ有効なのである(おわり)。(D)

銀河の月21日/KIN20 黄色い共振の太陽

*この文章は、『13の月の暦』でKIN178(9・鏡)の日(2017.11.17)に体験した出来事をまとめたものである。
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